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[ エッセイのようなモノ ]
言葉に関する考察その1
(もしくは単なるあげあしとり)
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 あれはたしか池袋だったと思うが、もしかしたら新宿だったかもしれない。もう何年も前のことなので、はっきりと覚えていない。  
 交差点で信号待ちをしているときに、ふと横を見ると、歩行者用信号機の柱に、押しボタンがついていた。もちろん、それ自体は別に珍しいことでもなんでもない。押しボタン式の信号機は、世の中にたくさんある。しかし、だれもそのボタンを押したりはしなかったにもかかわらず、その信号はやがて青に変わった。つまり、その信号機は押しボタン式ではなかった、ということになる。  
 そのボタンの上だったか下だったかには、注意書きが添えられていた。  
 曰く、  
 「目の不自由な方はこのボタンを押してください」  
 おそらくこの信号、普段は通常の時差式信号機で、そのボタンを押した時だけ、目の不自由な人のために、音楽だかなんだかが鳴るようになっているのだろう。  
 それはそれで構わない。  
 わたしは今まで気にしたことはなかったが、歩行者用の信号が青になるたびに流れるあの電子音を、やかましいと思っている人もいるのだろうから。  
 しかしその時ばかりは、わたしも少々気になった。  
 目の不自由な人に、あの注意書きが読めるのだろうか?  
 もちろんそんなはずはない。ちょっと考えればわかることだが、たぶんあの注意書きは、目の不自由な人本人のためではなく、まわりの人間に対して表示してあるものに違いないのだ。  
 目の不自由な人が近くにいて、助けてあげたいと思っても、声をかけてあげられない人間は多い。わたしもそのひとりだ。だから、声をかける必要のないそのボタンは、親切といえば親切なのかもしれない。だったらなぜ、もう少し親切にして、もっとわかりやすい注意書きにしなかったのだろう。  
 「目の不自由な人が近くにいたら、このボタンを押してあげてください」  
 それほど複雑な文章とは思えない。  
 あの注意書き、今でもあのままなんだろうか?  


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