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[ エッセイのようなモノ ]
続・時計のはなし

1997.11.18

 まずは人から聞いたはなし。  
 ある人が、ある店のラーメンを食べたくなった。その店は、なかなか旨いと評判の店だったが、おやじさんがひとりでやっているような店で、営業時間がはっきりせず、昼間っからやっていることもあれば、夜にならなければ開店しないこともあった。電話で確認すればいいのだろうが、彼はそうしなかった。なぜ彼がそうしなかったのか、わたしは知らない。だが、とにかく彼は直接店に行った。思った通り、店は開いていなかった。店の前には、「本日午後十二時より開店」と書いた張り紙がしてあった。  
 彼は腕時計を覗き込んで首をひねった。  
 彼の腕時計は、十二時をすこし過ぎていることを示していた。日は高い。  
 彼は悩んだ。  
 「午後十二時というのは、昼の十二時のことだろうか。夜の十二時のことだろうか?」  
 最終的に彼がどうしたか、わたしは知らない。聞いたのかもしれないが、覚えていない。  
 
 さて、ここで問題である。彼が悩んだのと同じ問題。  
 「午後十二時というのは、昼の十二時のことか。夜の十二時のことか」  
 正解を出す前に少し検討してみよう。  
 誰でも知っていることだと思うが、地球上の一日は二十四時間ということになっている。正確には、ピッタリ二十四時間ではないのだろうが、ここでは便宜上二十四時間ということにする。  
 これを午前と午後の二つにわけると、当然午前が十二時間、午後が十二時間ということになる。これも常識。アナログ式の(針が回る)時計を見れば、1から12の数字が並んでいる。ということは、半日は一時から十二時までの十二時間、ということになりそうな気がする。  
 ところが、アナログ式の時計の見方をご存知の方ならば(たぶん、小学校で習っているから知っていると思うのだが、もしかしたら、ここを幼稚園児が読んでいる可能性がないとはいえない)、ご承知のことだと思うが、半日の開始は短い針が一番上を指した瞬間から、ということになっている。異議を唱える方は、大晦日の真夜中を思い出していただきたい。で、文字盤の上の部分、半日の始まりを示す位置を見ると、そこには数字の「12」がある。ということは、始まりは十二時から、ということになるのだろうか? 半日は、十二時から始まって、次が一時、その次が二時となり、十一時で終わる十二時間になるのだろうか?  
 冒頭のはなしに出てきた彼も、その点に悩んだのだ。半日は(もしくは一日は)、一時から始まるのか十二時から始まるのか。常識でいえば、一時から始まって十二時で終わるに決まっている。だが、時計の表示を見るかぎり、開始は一時ではない。では、いったいどうなっているのだろうか?  
 面倒なので、正解を出してしまおう。  
 午後十二時というのは、昼の十二時のことか。夜の十二時のことか。  
 正解は、「午後十二時」というのは存在しない。これが正解。  
 おかしなはなしに聞こえるかもしれないが、間違いなく、これが正解。  
 もちろん、二十四時間表記の場合には十二時というのは存在する。しかしその場合は、「午前・午後」という分類がなくなるので、単純な十二時は存在するが、「午後十二時」は存在しなくなる。はっきりいって、十二時間表記の場合には、「十二時」という時間は存在しない。  
 もちろん、十二時間表記の場合、「午前十二時」というのも存在しなくなる。  
 十二時間表記の場合に「十二時」というものが存在するはずがない。  
 ちょっと待て、では、時計にある「12」というのは、ありゃいったい何なんだ、というご意見もあるだろう。はっきりいってしまおう。あれは、時計の表記の誤りである。  
 時計の表記を、いつ誰が決めたのか知らないが、あれは明らかに大きな間違いなのである。時間は、一時からは始まらない。始まりは零時からのはずなのだ。十二時間表記の場合、十二時というのは存在しないし、二十四時間表記の場合は二十四時というのは存在しない。  
 はなしがややこしくなるので、とりあえず二十四時間表記ではなしを進めよう。  
 二十四時間表記の場合、一日が一時から始まり二十四時で終わる、という考え方は大間違いである。一日は零時から始まり、二十三時で終わるのだ。  
 もう少し細かくいえば、零時零分から始まり、二十三時五十九分で終わる。  
 もっと細かくいえば、零時零分零秒から始まり、二十三時五十九分五十九秒で終わる。  
 もっと細かく....やめておこう。  
 考えてみていただきたい。たとえば、秒だ。  
 秒は零秒から始まって、五十九秒までカウントされたあと、六十秒にはならずに、次の分の零秒になる。どう間違っても、「一時十分六十秒」とはいわない。  
 同じように、分である。  
 分も零分から始まって、五十九分までカウントされたあと、六十分にはならずに、次の時の零分になる。  
 この論理でいけば、時間も、零時から始まって二十三時までカウントされたあとは、翌日になるべきなのだ。  
 この問題の責任は、すべて時計メーカーにある。デジタル時計ではほとんどがちゃんと零時から十一時(もしくは二十三時)までの表記なのに、アナログ時計になると、平気で「12」という表記を使用している。これが大間違い。アナログ式の時計の一番上には、「12」ではなく「0」が来るべきなのだ。  
 十二時間表記のときには十二時は存在しないし、二十四時間表記の場合には、二十四時は存在しない。一時の前は零時だし、十一時の後は零時なのだ(二十四時間表記の場合は、二十三時の後が零時ね)  
 これを、時計メーカーも文部省もきちんとするべきである。(文部省にどの程度の責任があるかは不明だが、少なくとも小学校で、十二時という時刻がある、と教えている責任はあるはずだ)  
 時間の開始は零時から。これを世界規模で徹底するべきなのだ!  
 でないと、ラーメン屋が何時に開店するのかわからなくて、みんな困るじゃないか。  



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