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[ エッセイのようなモノ ]
春が来た

1998.03.21

 どうやら、春が来たようである。  
 春が来たといっても、彼女ができたとか、そういった意味ではない。浮かれ気分は同じようなものかもしれないが、この場合は文字どおり、季節としての春が来た、という意味だ。  
 かつてわたしの家の庭には、二本の桜の木があって、春の訪れを否応なしに教えてくれていた。しかもその二本、一方はソメイヨシノという、桜としてはポピュラーなやつで、もう一方は八重桜という、まるで牡丹のような花が咲く種類だった。まあはっきりいって、どちらも桜としてはそれほど珍しい種類ではない。ただ、その種類の違いからか、微妙に花の咲く時期がずれていて、ソメイヨシノが散り始めるころに八重桜が咲き始めてくれるから、かなり長いあいだ目を楽しませてくれていたのは事実だ。当時はまだわたしは未成年だったから、桜の下で酒盛りをするとか、花見という名目の上で宴会をするとか、花なんぞ見もしないでどんちゃん騒ぎをするとか、そういった楽しみ方はしはなかった(酒を飲まない関係上、今でもそんなことはしていない)が、子ども心にも桜の季節は楽しかった。  
 そしてこの二本の桜の木が教えてくれたのは、、春の訪ればかりではなかった。  
 春には当然薄桃色の花びらを散らし、初夏ともなればアメリカシロヒトリを降らせ、夏には夏で蝉の抜け殻が転がり、成人した蝉のあのやかましい恋の歌を聞かせてくれていた。葉が散り始めることでも、季節はその到着を思い知らせてくれた。桜の木があるだけで、日本には四季というものがあるのだ、ということを意識せずとも感じ取れていたのだ。とはいっても、やはり日本では桜といえば春、春といえば桜だろう。異議は認めない。  
 桜の木に春を教えてもらっていたのは、もちろんわたしだけではなかった。家族や近所の人たちは当然として、たまたま通りかかったトラックの運転手などが、桜の木の下で車を止め、窓から体を乗り出して手を伸ばし、春の兆しを折って持ち帰ろうとしているのを見咎められ、当時元気いっぱいだったうちの祖母に怒鳴りつけられる風景も、わたしにとっては春の風物詩のひとつだった。  
 これほどまでにみんなを楽しませてくれた桜だが、残念ながら今ではもうない。花泥棒を怒鳴りつけていた祖母も、二十年以上前に他界している。祖母はもちろん年老いて寿命をまっとうしたのだが、桜の方は悲しいことに切り倒されてしまった。理由はまあ、家庭の事情とでも思っていただければいい。  
 それ以来わたしは、あまり春の訪れを強く感じなくなったような気が、しないでもない。もちろん、わたしのまわりに、他に桜の木がないわけではない。公園で、町角で、よその家の庭で、桜は今でも春になれば相変わらず咲き誇っている。夏になれば、アメリカシロヒトリだってちゃんと落ちてくる。だがそれは、我が家の庭で咲いていたあの桜ではない。我が家にだけ特別に、春の訪れを教えてくれているわけではないのだ。  
 その代わりなのだろうか。天はわたしに、花ではなく鼻で春の訪れを感じる力を与えてくれた。俗に「花粉症」とか「杉花粉アレルギー」とか呼ばれているあの能力である。その特殊能力を授けられた人は、かなり多いようだが、残念ながらわたしがこの能力を身につけた当時、それはまだ世間に認知された正当な能力ではなかった。わたしがこの特殊能力に目覚めたのは、忘れもしない、高校卒業の前日だった。くしゃみ鼻水鼻詰まりは、わたしにとって冬の間の恒例行事だったから、それほど気にもとめてはいなかったが、激しい目のかゆみというのは、かつて経験したことのない現象だった。  
 ご存知の方もいると思うが、通常人間というやつは、目がかゆくなれば目をこする。本当は掻きむしりたいと思っていても、いかんせん、目というやつは異物に触れられそうになると、瞼とかいう防護壁を自動的に閉じようとする。それが自分の指であろうが他人の指であろうが、防護壁は差別しない。もちろん、それを無理矢理こじ開けて目を掻きむしることもできる。だがそうなると、かゆみは取れるかもしれないが、代わりに激しい痛みに襲われることになるのだから、瞼がやろうとしていることはおそらく正しいのだろう。そういった事情で、わたしは瞼を閉じて目をこすり続けた。  
 そうなると自然の摂理というやつで、やがて眼球内の毛細血管が破れ、目は真っ赤に充血しすることになる。これが普段の別に何でもない日ならば、何の問題もなかっただろう。ところがその日は特別な日だった。いや、その日は別に何でもない日だったのだが、その翌日がいけなかった。  
 前日あれほど掻きむしった、いや瞼の上からこすりまくって赤くなった目は、もちろん翌日にすっきりさっぱりしているはずがない。しかも、翌日になったからといって、目のかゆみがおさまっているわけでもない。卒業式の当日になっても、くしゃみは止まらず、鼻水は流れつづけ、かゆみの止まらない目をわたしの手はこすり続けた(もちろん瞼ごしに)。  
 さて、卒業式といえば、いわずと知れた、葬式、結婚式と並ぶ「三大涙の式典」のひとつである。異議は認めない。  
 その当日に目を真っ赤にしている人間を、誰が「目がかゆくてこすったな」と思ってくれるだろうか。場合によっては「あくびでもしたか?」と思ってくれることもあるだろうが、あくびで目がうるんでいるのと、目をかきむしった場合とでは、充血の引きの速さがまったく違う。そして、くやしいことに、あくびをした場合よりも、目をかきむしった場合の方が、はるかに泣いたあとの状況に似ているのである。かくしてわたしは、高校の卒業式で泣いた、という汚名を着せられることになった。いや、もちろん、卒業式で泣くことを恥ずかしいことだといっているつもりはない。三大涙の式典のひとつだ。卒業式で泣いて何が悪い。  
 だが、繰り返して言うが、わたしはそのときは泣いていなかったのである。  
 自慢してしまうが、わたしは十代のなかばから今日まで、映画を見たり小説を読んで涙を流したことはあっても、それ以外のときに泣いたことは一度もないのだ(あくびを除く)。ましてやその卒業式の最中は、隣に座っていた友達が、式の間中居眠りを続け、膝に乗せていた卒業証書入れを落として厳粛な静けさをぶち破るわ、よだれは垂らすわ、寝言をいうわで、笑いをこらえるのに精いっぱいで、悲しみにひたるような状況ではなかったのである。  
 それなのに、泣いたことにされてしまったのである。これを汚名と言わずして何と言えばいいのか。  
 と、よくよく考えてみれば、その当時のことを知っている人間がここを読んでいるわけでもなし。知っていた人間が読んでいたとしても、覚えているとは思えない。こんなことをわざわざ書いても、ひょっとしたら無駄な努力だったのだろうか?  
 それでもいい。重ねていう。わたしはあの日、泣いてはいなかった。  
 それもしかし、遠い昔の思い出である。  
 今年もまた春が来たようだ。目がかゆい。  



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