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[ エッセイのようなモノ ]
正しい嘘のつき方

1998.04.02

 昨日はエイプリルフールだったそうである。欧米ではどうだか知らないが、日本ではあまり定着していないようだ。イギリスあたりでは、国営放送BBCが平気で大嘘のニュースを流すぐらいだから、国民的行事のひとつなのかもしれない。だいぶ前の話しだが、BBCが「ビッグベンが売りに出されて、日本の企業が買い取った」というようなニュースを4月1日に流したら、国民の大半が信じたとか信じなかったとか。  
 同じようなことをNHKがやったら、たちまち抗議の電話で回線がパンクするだろう。だいたい、ちょっとしたドラマの中で、ほんの小さな間違いを見つけただけで、鬼の首でも取ったような顔をして(いるかどうかは見えないだろうが)、電話をかけてくる視聴者というのは、事実存在するらしい。わたしには信じられない。  
 で、そういう人にかぎって、「水戸黄門は、本当は諸国漫遊なんぞしなかった」とか、「大名屋敷に表札なんぞかかってるはずがないだろうが」とか、「この時代の髷はもっと小さかったはずだ」とかいう抗議の電話はかけない。まあ、知らないことには抗議のしようがないんだろうけど。  
 それはさておき、エイプリルフールが日本で定着しない理由のひとつに、企業の儲けにつながらないから、というのがある。  
 バレンタインデーにはチョコレート。クリスマスにはプレゼント。ハロウィンだって、なんだかんだで儲けになると見た企業が盛り上げようと努力しているが、エイプリルフールだけは、どんな企業も盛り上げる努力をしていない。盛り上げたところで、なんの儲けにはならないからだろう。デパートあたりで、3月の末あたりから「エイプリルフール・コーナー」みたいなものを作って、ジョーク商品やら人をだますネタやらを売り出したら、それはそれで受けそうな気もするんだが、やっているところは見たことがない。  
 やるとしたら、出版社あたりか。ジョークの本やら、嘘にまつわる本を「エイプリルフール・フェア」かなんかでたくさん出すとか、雑誌で「こんな嘘がトレンディ」(って、その記事自体嘘っぽいけど)なんて特集をやれば、もっと盛り上がるんだろうが、買う奴はいないな、そんな本。  
 まあ、バレンタインデーなんて、元々は「この日だけは女の子から告白していい日」とか言っていたような気がするんだが、今ではお中元、お歳暮と並ぶ、「お世話になった人に何か送る日」と化している。だから、エイプリルフールも、「嘘をついていい日」なんて設定じゃなく、「ジョークを言い合う日」という設定にすれば、オヤジがここぞとくだらないギャグをかまして、まわりのひんしゅくを買うんだろうな。それでなお一層定着しなくなる。  
 エイプリルフールが定着しない理由のふたつめとして、企業の儲けにつながらない、というの同じような意味になるのだが、エイプリルフール固有の商品がない、というのもある。べつに、特定の商品である必要はないのだが、売りになる物がなくては定着しない。  
 西洋から輸入したお祭りでなくても、品物とお祭りの密着度は大切である。極端な話し、雛祭りにひな人形を飾る習慣がなく、ひしもちもあられもなかったら、おそらく定着はしなかっただろう。端午の節句しかり。七夕しかり。正月だって、もちと門松がなかったら、どうなっていたかはわからない。いや、「新春かくし芸大会」は、正月が定着していたから存在する番組で、定着していなかったら存在しなかったはずだ。節分なんてぇマイナーな行事すら、鬼と豆のおかげで生き残っているし、仲秋の名月なんてぇわけのわからないものも、すすきと団子のおかげで、とりあえず記憶には残っている。  
 そんなわけで、エイプリルフールを定着させるためには、そのための品物が重要になってくるのだが、嘘と密接な関係にある商品ってのは、ない。あったとしても、おそらく売れない。  
 いや。たとえば、電話に取り付けると、どんな嘘をついても相手が信用してしまう装置とか、飲ませると相手がこちらを信用する薬とかを売り出せば、絶対に売れる。もちろん、その装置や薬自体、大嘘なんですけどね。それじゃあ、単なる詐欺か。そもそも「絶対に売れる」というわたしの言葉が大嘘だし。逆に相手の嘘を見抜く装置とか薬を売り出しても、おそらく売れることはない。みんな信用しないだろうし。  
 嘘をつくための商品にしろ、嘘をみやぶるための商品にしろ、結局、エイプリルフールに密着した品物は売れないということだ。だいたい、企業が「エイプリルフールのための商品ですよ」と言って売り出すこと自体、消費者は嘘だと思うだろう。先の雑誌の特集の話しではないが、その特集の内容自体がすべて嘘ととらえられてしまうだろう。単純なジョーク商品を「これでみんなを笑わせよう」と売り出したとしても、「ほんとにみんな笑うのか?」と疑ってかかるのが消費者である。そうなってくるともう、嘘なのか本当なのかわからなくなってくる。真面目な顔をして本当のことを言っても嘘だと思われ、大嘘ついてももちろん嘘だと思われる。エイプリルフールの当日には、何をいっても嘘だと思われるようになる。警察に「今、人をひとり殺して来ました」と自首して出ても、信用されない。チャンスである。  
 ちなみに、今回の「エッセイのようなモノ」は、タイトルが大嘘です。  
 しまった、もうエイプリルフールは過ぎてるのに、タイトルで嘘をついてしまった。って、確信犯だってことは、最初の一行を読めばわかるはず。  



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