|
|
|
[ 映画の感想文のようなモノ ] へ |
[ 小説のようなモノの書き方 ] へ |
[ 小説の感想文のようなモノ ] へ |
|
[ エッセイのようなモノ ] |
[ メモの達人への遥かなる道のり ] へ |
[ 小説のようなモノ ] へ |
| 都会は迷宮(前編) |
|
|
|
|
1999.04.30
世の中には、方向音痴といわれる人が存在する。 人はなぜ道に迷うのか。これには、いくつかの理由がある。 まず、一番大きな理由は、以前何かのテレビ番組で見たのだが、なんでも、頭の中に地図を描くことができないから、というものなのだそうである。方向音痴の人は、スタート地点とゴール地点、今自分のいる場所と、そのまわりの状態が、頭の中にイメージできていないのだそうだ。かりに、頭の中に地図が描けていたとしても、自分の向きにあわせて、その地図を回転させることができない場合もあるらしい。単純なはなし、スタート地点から何度か曲がり角を曲がっただけで、現在位置とスタート地点、ゴール地点の位置関係が、わからなくなってしまうのが、このパターンである。 実は、この回転がちょっとしたくせもので、自分が右に曲がった場合は、地図の方は左に回転させなければいけないのだが、それに気づかないと、わけがわからなくなるのだ。 帰り道がわからなくなる人の場合、帰りには地図を180度回転しなければならない、ということに気づかなかったり、一部分回転漏れがあったりするらしい。行きに右に曲がった角を、帰りにも右に曲がる人というのは、このパターンである。この説明の何がおかしいのか、瞬時に理解できない人は、自分が方向音痴だ、ということを自覚するように。 自信のない人はとりあえず、地図を片手に家の近所を歩いてみるといい。自分の向いている方向が、常に地図の上側になるように、地図を回転させながら歩いてみるのだ。曲がり角を曲がる瞬間に、悩むことなく地図を回転させることができれば、まず大丈夫だろう。 この、頭の中の地図というのは、想像力の問題である。 次の理由として、目標物の選択ミスというのがある。 道に迷いやすい人というのは、極端な場合、「赤い自転車が置いてある角を右にまがって、茶色い犬が顔を出している家の横を左」といった感じで覚えるのだそうだ。この説明も、何がおかしいのかわからない人は、方向音痴である。 もちろん、次にその道を通ったときには、自転車はないかもしれないし、犬も顔を出さないかもしれないのだが、その時点では、そんなことには気づかないらしい。 基本的に、目標物には変化の少ないものを選ばなければならない。たとえば、「公園の右の道を入る」とか「薬局の先を左」とか。 これは、必要なものとそうでないものを見分ける、判断力の問題になる。 ところが、実はこれには隠れた問題がある。何年かしてから同じ場所に立ったときに、公園がなくなっていたり、薬局がコンビニエンス・ストアに変わっていたりすると、もう目的地には着けないことになるのだ。なくなってしまった公園を求めてひたすら突き進み、やがて、たまたま出現した別の公園を見つけるが、その右に道がないので、パニックにおちいるか、たまたまその公園の右に道があったため、何の疑問もなくその右の道に入り、そこから先はもう、どこに行ってしまうのかわからなくなるわけだ。 これは、「薬局の先」と覚えずに、「薬局と書店の間」とか、「薬局の先を左に曲がると、薬局の裏に空き地がある」といったように、複数の目標物を利用することで回避することができる。 もっと多くの目標物を覚えておけば、それだけ道に迷う可能性は少なくなる。つまり、記憶力の問題である。 もちろんその場合でも、「茶色い犬」を覚えていても意味がないのは、いうまでもないことである。 |
|
|
|
| Copyright(c) 1997-2007 Macride |
|