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[ エッセイのようなモノ ]
都会は迷宮(後編)
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1999.05.05

 道に迷う理由は、ほかにもある。  
 道に対する認識の誤り、あるいは盲信といえばいいだろうか。つまり、道は常にまっすぐである、と思い込んでいる場合があるのだ。今この事実に気づいたあなたは、方向音痴のはずである。  
 ご存知の方はご存知だと思うが、道というのは、必ずしもまっすぐなものではない。微妙にカーブを描いていて、いつのまにか進行方向が九十度近く変わっていることもあるのである。東に向かっているつもりが、いつのまにか北や南に向かっていたりすることがあるわけだ。場合によっては、枝別れした道が、少しずつカーブして、結局もとの道と合流する場合もある。それに気づかないと、自分の現在位置や進行方向がわからなくなってしまう。  
 つまりこの場合は、一本の道をひたすら進んでいる場合でも、頭の中の地図は、少しずつ回転させなければならないのである。それに気づいている人は、道に迷わない。あるいは、気づいた瞬間に、頭の中の地図を一気に回転させることができれば、大丈夫。  
 同じような理由で、道は必ずしも直角には交わらない、ということに気づかないというパターンもある。  
 「Y」の字のような道があるとする。この道を右上から下に向かって歩いていく。そのとき、左側(進行方向からすると右手になるのだが、イメージできてます?)にも道がある、ということに気づかない。さて、帰りである。今度は、下から上に向かって歩いてくるわけだが、来たときには一本道だった(と思い込んでいた)はずなのに、いきなり道がふたつに分かれているのである。ここでパニックに陥る。こんな道、来るときには通らなかった、と決めつけて、別の道へ行ってしまったりする。  
 逆の場合もある。先の例と同じように「Y」の字の道の右上から来て、今度は左上に曲がったとしよう。帰りには当然、左上から来て右に曲がるのだが、鋭角に曲がったその道に気づかなかったりする。そのまま進んでしまうと、気づいたときには、とんでもない場所にいるわけだ。  
 これは、注意力の問題である。  
 さて、以上のように、道に迷うかどうかというのは、頭の中に地図を描けるかどうかの想像力。正しい目標物を選択できるかどうかの判断力。選択した目標物を正しく覚えておけるかどうかの記憶力。見落としがないかどうかの注意力。このよっつの力が必要であることがおわかりいただけたと思う。  
 実はこれに加えて、「適度な自信」というのも必要となる。正しい道を歩いているのに、間違えていると思いこんで、別の道に行ってしまうのは、自信がないからである。だが、これは、単純な「自信」ではいけない。根拠のない自信では、誤った道をどんどん突き進んでしまうことになる。  
 道に迷う人の、これらの能力が、本当に劣っているのかどうかは知らない。だが、事実として、人は道に迷う。  
 ではいったい、どうすれば道に迷わないようになるのか。  
 単純にいえば、想像力を養い、記憶力を鍛え、判断力に磨きをかけ、注意力を高め、適度な自信を身につければいいわけであるが、それが口でいうほど簡単ではないことは、誰もが身にしみて感じていることだろう。  
 だが、ありがたいことに、それをおぎなうために、今は科学の力に助けを請うことができるのである。小型で、手で持ち歩けるGPIシステム。ナビゲーション・システムを使えば問題はなくなるのだ。  
 ただしこれには、財力が要求される。  



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