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[ エッセイのようなモノ ]
人のふり見てわが不利実感

1999.05.20

 ある日の銀行での出来事。その人は、通帳に記帳したかった。人がおおぜい並んでいるキャッシュ・ディスペンサーを使うよりも、カウンターに出すよりも、誰も並んでいない記帳機を使った方が早いと思い、鞄から通帳を出しながら記帳機に近づいて行った。そのとき、二、三才ぐらいの子供を連れた女性がふいに横から現れ、すっと記帳機の前に立ってしまった。  
 まあ、それで腹を立てるほどその人も短気ではない。で、おとなしく後ろに並んで待っていた。  
 先に記帳機の前に立った女性は、これもやはり鞄から通帳を出し、記帳機に差し入れようとした。その時である。その人が連れていた二、三才ぐらいの子供が、  
 「やりたぁい」  
 と言い出した。母親は、しかたないわねぇ、といった感じではあったが、子供に通帳を持たせ、抱きかかえた。しかし、いくらなんでも、子供が記帳機に通帳を入れるのは、結構むずかしいものなのである。当然、なかなか入らない。子供はむずがる。うまく入らないとだだをこねる。だからといって、やめるとは言わない。そのうち、親もイライラしてくる。しかし、もっとイライラしているのは、後ろに並んでいた人なのであった。後ろにだれも並んでいなければ、どれだけ時間をかけようがかまわない。だが、後ろに人が並んでいるのである。状況をよく考えてもらいたい。ふざけてんじゃねぇぞ、この野郎!  
 というはなしを、知人から聞いた。  
 これと同じような状況には、わたしもよく出くわす。出くわすたびに、腹を立てる。たぶん、わたしが気が短いせいだろう。  
 たとえば。同じように銀行で、キャッシュ・ディスペンサーの前に並んだときのこと。わたしの前の人は、機械の前に立ってから、おもむろに鞄のふたを開け、中をかきまわし、財布だか手帳だかをさがしはじめ、やっとみつけてカードを取り出す。次にその財布だか手帳だかを、鞄の中にしまう。カードはまだ手に持っている。鞄のふたをきちんとしめ、それからやっと、カードを機械に差し込むのである。  
 で、じっくりと、画面に表示される説明を、いちいち確認しながら確実に操作をする。やがて現金が引き出されると、おもむろに鞄を開け、中をかきまわし、今度はたぶん間違いなく、財布をさがしはじめる。取り出したのは、さっきまで財布だか手帳だかわからなかった、あれである。それに現金をしまい、カードをしまい、つぎにその財布を鞄にしまい、鞄のふたをきっちり閉める。これをすべて、キャッシュ・ディスペンサーの前でやる。後ろにどれだけ人が並んでいようとも、だ。まあ、ひったくりにあったりする危険を考えれば、このほうがいいのかもしれないけどね。  
 こういう人を非難するつもりは、もちろんない。人それぞれにペースがあり、やり方というものがあるのだから、他人が口出しをする問題ではないと思っている。そういう性格の人もいるだろうし、その日はたまたま調子が悪くて、体を動かすのが億劫だったのかもしれない。だから、そういう人を非難してはいけないと思っているし、非難するつもりもない。  
 ところがおもしろいことに、そういう人でも、駅の自動改札を定期券で通るときには、歩きながら鞄から定期券を出し、歩きながらしまう。自動改札の前まで行ってから、立ち止まり、鞄をさぐり、定期券を出す、という段取りを踏む人は、あまり見たことがない。違う定期を間違えて入れちゃったりした時は、また別の問題ですけどね。  
 考えてみると、これは、TPOによって行動を変えるという、みごとな生活スタイルなのかもしれない。  
 見習いたいものである。  



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