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| 正しい予言のしかた |
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1999.06.09
子供のころにSF小僧だった関係か、いまだに未知のものとか不思議なこととかが大好きで、よくないこととは思うのだが、ノストラダムスの予言なんぞは、何が起きるのか、わくわくしながら楽しみに待っている。 ところがこの予言、あいまいなことがかなり多い。 まず、「いつ」という点について、一般的には、今年の七月ということになっているようだが、他にもいくつか意見があるようだ。 原文で七月に相当する部分が「Sept」となっていて(スペルは違うかも)、これが「7」という意味だから、七番目の月というのが一般的な解釈なのだが、一説では、「SEPTEMBER」つまり九月のことではないか、という意見もあるらしい。あと、七月は七月だが、旧暦の七月で、今の暦にすれば八月ごろになるはずだ、という意見もある。 それどころか、1999年というのが、今年のことではなく、予言が書かれた年から1999年後、という意見もあるらしい。 はっきりしてもらいたいものである。 何が起きるのか、という点に関しても、いろいろな人がいろいろなことをいっている。 隕石が降ってくるとか、人工衛星が落ちてくるとか、2000年問題でコンピュータが暴走するとか、コソボ問題から第三次世界大戦が勃発すると、グランド・クロス(太陽系の各惑星が、地球を中心にして十字に並ぶ)のために、地球の地軸がずれるとか、とんでもないウィルスが蔓延するとか。中には「スター・ウォーズ」の公開のことだ、なんぞとわけのわからないことをいっている奴もいるらしい(笑) まあ、最後のひとつは別にして、あとはどれも大事件である。大事件は大事件なのだが、実際に何が起きるのかが、起きてみないことにはわからない、となるとちょっと辛い。 この予言を信じない、もしくは否定する人たちは、この「いつ何が起きるのかがはっきりしない」という点を指摘して、予言を否定しているようだ。つまり、「そんな、いつ何が起きるのかはっきりしないようなものは、予言として何の役にも立たない」というわけである。もっともな意見である。それが真実であろうがなかろうが、起きてみなければわからない、というのでは、騒ぐだけ無駄なのである。あとになってから「あれがそうだったんだ」ということは誰にでもできる。事前にはっきりした上で、回避方法なり、対処方法なりを教えてくれるのが、世のため人のためってものだろう。 ところが、そこに大きな問題がある。 仮に、いつ何が起きるのかわかったとしよう。そして、その回避方法なり、対処方法なりもはっきり記載されていたとしよう。するとどうなるか。 当然、その回避方法なり対処方法なりが実行されるわけだから、予言された事柄は起きなくなるのである。その場合、予言を信じない人たちは、「ほらみろ、予言なんて当たらないじゃないか」というのである。 何が起きるかははっきりしなくても、何年の何月何日、とはっきり明記してあった場合でも、地球上のどこでの日付時刻なのか、というのが問題になる。ちょっとでもずれようものなら、「あの予言は当たらなかった」ということになってしまう。 これでは、予言する方が困ってしまうわけだ。 そこで、予言者は考える。 あんまりはっきりしたことをいうと、あとで自分が困るかもしれないから、とりあえずそれっぽいことだけいっておこう、と。 まるで、質の悪い営業かSEのようなものである。 ってことは、わたしも予言者になる資格があるわけか。今度試してみよう。 |
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