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[ エッセイのようなモノ ]
梅雨には梅雨の意地がある?

1999.07.14

 よその地方がどうなのかよく知らないが、このところわたしの住んでいる横浜近辺は、雨がものすごい。今も、かなり本気で降っている。まあ、時期的に梅雨なわけだから、雨が降るのはしかたがないのだろうが、どうもこの梅雨の時期というのは、一年中でも一番嫌われる時期のようである。  
 夏が好きとか、冬が好きとかいう意見は聞いたことがあるが、梅雨が好きという人にはお目にかかったことがない。もっとも、梅雨というのは四季のひとつじゃない、といわれてしまえば、それまでなのだが。  
 梅雨といえば、昔は気象庁が「梅雨入りしました」と発表したとたんに晴れ間が続き、「梅雨明けしました」とのたまったら、すかさず雨が続く、ということが多かったのだが、ここ数年は気象庁も卑怯・・・・賢くなったようで、少なくとも梅雨明けだけは、過去にさかのぼって「何月何日が梅雨明けでした」というような宣言のしかたをするようになっている。  
 なぜ梅雨が嫌われるかというと、これはもう雨が降るからで、こればっかりはどうにもしようがない。世の中には、もちろん雨が降ってくれないと困る商売だって、山ほどあるわけだが、やはり日本は民主主義の国なのだろう。多数決の論理で、雨降りは嫌だ、ということになってしまうようである。  
 だいたい、やたらと雨が降るから梅雨なわけで、雨が降らなかったら梅雨というシーズンは存在しないわけだ。そうなると、雨が降っているのは嫌だ、という意見が大多数を占めた時点で、梅雨というのは、存在する以前から嫌われることが決まっていたわけで、梅雨にも災難としてあきらめてもらうしかないのである。  
 世間一般的には嫌われている梅雨なのだが、わたしの性格上、いつもならここで「わたしは結構好きだ」といいそうなものなのだが、残念ながら、わたしも梅雨はあまり好きではない。どうもこの、通常の梅雨の時期のような、中途半端な雨の振り方というやつが嫌いなのだ。ほとんど霧のような状態で、傘をさしていいものやら悪いものやら。さして歩くほどじゃぁないのに、ささずに歩けばすぐに濡れてしまう。かといって、傘をさせば濡れないか、というと、実際に濡れないのは頭のてっぺんぐらいのもので、結局さしてもささなくてもほとんど変わりはない。こういう雨は大っ嫌いである。  
 ただし、雨そのものが嫌いなわけではない。今日のような(ったって、わからないだろうが)どしゃ降りの雨は、逆に大好きなのである。バケツをひっくり返したような、という表現は使い古されているから、小説のようなモノを書く場合には控えた方がいいと思うのだが、昔の人のもののたとえ方というのはさすがだなぁと思ってしまうのは、こういうときだ。他にたとえようがない。わたしなんぞは、せいぜい空を見上げて「本気で降ってるなぁ」と思うぐらいが関の山。あとは「水道管が破裂してますぜ」ぐらいのものだろうか。  
 そのぐらい強烈な雨に、強い風でも加わろうものなら、わたしはもうわくわくしてきて、遠足の前の日の子供のような状態になってしまうのである。そういうことをいうと、ほとんどの人が、「変な奴」というのだが、わたしも自分でそう思う。そうは思うのだが、わくわくしてくる気持ちは変えることができないのだから、しかたがない。  
 ひどい被害にあったことがないから、そんなことがいえるんだろう、と思う方もいらっしゃるかもしれないが、実はわたしが子供のころには、近くの川がよく氾濫して、床下浸水床上浸水は、年中行事のようなものだった。その当時からわくわくしていた記憶があるのだから、やっぱりわたしは変な奴なのだろう。  
 今現在被害にあわれている方々の、ご無事をお祈りいたします。  



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