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[ エッセイのようなモノ ]
おいてくなよぉ

1999.09.01

 あいにくわたしは、まだ結婚というものをしていないので、子供はいない。いや、結婚抜きで子供だけいたって、別にかまわないわけだが、残念ながらわたしには、それほどの甲斐性もない。自分の子供というのはいないのだが、まわりに子供がいないわけではない。親戚の子供、近所の子供、友人の子供。自分の子供でない無責任さから、子供とはよく遊ぶ。親としての責任がないぶん、遊ぶときには本気で遊ぶ。その結果、子供たちから好かれるのはいいのだが、基本的には友達あつかいされることになる。  
 だいぶ前のはなしになるが、わたしが家の近くを歩いていると、近所の子供が道で遊んでいた。たしかその子は、当時幼稚園か小学校の低学年ぐらいだったと記憶している。その子が、道の向こうの方から、大声で、  
 「お兄ちゃん!(当時はわたしも、まだお兄ちゃんだった)遊んであげるよ!」  
 と、声をかけて来た。  
 「遊ぼうよ」とか「遊んでよ」ではない。「遊んであげるよ」なのだ。つまりその子にとっては、わたしの方が立場が下、もしくは同列で、向こうが「遊んであげている」という発想なわけである。わたしは、苦笑を隠しながら、  
 「ごめんね。お兄ちゃんは今忙しいから、またあとで遊んでね」  
 といって、家に帰ったのだった。  
 子供は素直で正直である。しばらくしてから、その子がわたしを迎えに来たのは、いうまでもない。その状態でお誘いを断れるほど、わたしは大人ではない。しばらくの間、一緒に遊んだことも、いうまでもない。  
 今現在は、甥姪をふくめて、親戚の子供たちが、だいたい小学生から幼稚園児ぐらいになるのだが、その子供たちがまた、我が家に遊びに来るのを楽しみにしているらしい。聞くところによれば、自分の家にないゲーム機や、ゲームソフトがあるからだそうで。我が家にないゲームソフトは、わざわざ持ってきてくれる。で、そういう持ち込みのソフトの場合、持ってきた本人がいろいろと説明してくれるわけだが、通常ほかの大人たちは、子供の説明というのを、あまり真剣に聞かないらしい。適当に相づちをうって、いい加減に聞き流してしまったり、わからないからと、最初から聞かなかったりするらしい。  
 ところがわたしは、子供の説明を真剣に聞いてしまう。わからないことがあると、真剣に質問してしまう。すごい、と思ったことには、真剣に感動してしまう。まあ、多少大袈裟にすることもあるのだが。  
 もちろん、大人相手に話しをしているときには、そんなことはない。適当に聞き流しもするし、自分に関係ないと思えば、最初から聞かない。しかし、子供が相手の場合には、どういうわけか、自分も子供と同じレベルにまで降りているらしい。いや、もとからだ、という意見もあるだろうが。  
 まわりの大人たちからは、  
 「ちっちゃい子供と、おっきい子供が、真剣に何を話してるんだか」  
 と思われているのだそうだ。  
 ところが、悲しいことに、子供というのは、やがて大きくなる。いつまでも小学生のままではない。毎日顔をあわせるのなら別だろうが、年に数回しか会わない親戚の子供などは、会うたびに、どんどん大人になっていく。  
 わたしはといえば、すでに大人になっているはずの人間なわけだから、これ以上大人になるはずもなく、気がつくと子供たちにおいてけぼりにされているのである。悲しいことである。友達がどんどん減っていくのだ(笑)  
 念のためにいっておくが、わたしには幼児性愛の趣味はない。子供と遊ぶときには、純粋に子供の遊びで遊ぶ。大人の遊び(笑)をするときには、やっぱり相手は大人の方がいい。  



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