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[ エッセイのようなモノ ]
乱れた日本語に喝!

1999.09.08

 日本語が乱れているらしい。  
 たしかに、髪の色も顔の色も茶色いお姉さんたち(場合によっては髪は白かったり赤かったりもするが)の会話を聞いていると「ドコォノクニカァラ、キマシィタカァ?」と思ってしまうことがある。いや。もしかしたら、本当に外国から来た方々なのかもしれないから、この発想は失礼か。まあ、とてもそうは見えないが。  
 テレビなんぞを観ていても、ときどきその手のことをなげく番組があって、ある程度年齢のいっている人たちが、もっともらしく顔をしかめて「今の日本語は乱れてるよねぇ」などとのたまっている。で、そういう人たちに「じゃあ、以下の言葉を尊敬語に直してください」なんて問題を出そうものなら、さっき以上に顔をしかめて、「いやぁ。日本語ってのは難しいよねぇ」などとおっしゃる。見ていてほほえましい。  
 ちなみに、その時に出題されたのは、以下のみっつの言葉だったと記憶している。  
 「来る」「居る」「行く」  
 正解は最後に書くとして、とりあえずわたしは、その番組を観ているときに正解はわかった。もちろん、わかったからといって、自慢するつもりはない。たまたま知っている言葉だっただけだ(って、自慢気だな(笑))  
 それはまあどうでもいい。  
 今の日本語は乱れていると思うか、と質問されれば、おそらくほとんどの人が「イエス」と答えるだろう。まあ、少なくともおじさんたちはそう答えるに違いない。わたしとしても、なんとなく乱れているような気がしないでもない。だからといって、「わたしは正しい日本語を使っている」などというつもりもまったくない。だいたい、正しい日本語がどんなものなのか、よくわかっていないのだから。  
 そもそも、乱れている、というからには、当然乱れていない状態というのが存在しなければならないわけだが、では乱れていない状態の日本語というのは、いったいどういうものなのだろう。と考えはじめると、じつはかなりむずかしい。  
 教科書に載っていて、学校で教えている国語が正しいのだ、とか、NHKのアナウンサーが使っている言葉が正しいのだ、などということはできるかもしれないが、それにしたって、実は絶対的なものではないのだ。  
 たとえば、今現在正しいとされている日本語と、昭和の中頃に正しいとされていた日本語とでは、明らかに違う。昭和の中頃と昭和の初期の日本語でも、だいぶ違う。昭和の初期と、明治の末の日本語も・・・・  
 きりがないのでやめるが、ずっとさかのぼって、平安時代の言葉と今の言葉では、外国語ほどに違うだろう。つまりもともと言葉というものは、どんどん変わって行くものなのだから、実は「これが正しい」というのはなかったりするわけだ。乱れている状態というのは、実は安定していない状態という意味なのだが、そういう意味では、もともと言葉自体が安定していないわけだから、乱れようがないといえば乱れようがないはずなのである。  
 ではなぜ言葉が乱れていると感じるかというと、これはもう、広く一般に認められているかどうかによる、ということになる。言葉が乱れていると感じるのは、その言葉が一部の人たちにしか通用しないからなのである。  
 そこでだ。今の乱れた日本語を安定した状態にする方法を提案したい。乱れているといわれている言葉を直すのではない。「おかしい」といわれている言葉を、広く一般に認めさせてしまえばいいのだ。つまり、変な言葉だろうがなんだろうが、気にしないでもっとじゃんじゃん使っちまえ! ということ。  
 もちろん、本気でやると、収拾がつかなくなるのは、目に見えているが、そんなこたぁわたしの知ったこっちゃない。後の世代の古文の授業が大変になるだけのはなしである。  
 なお、本文中に出てきた問題の答えは、すべて「いらっしゃる」である。ちなみに「ある」という言葉の尊敬語も「いらっしゃる」でいらっしゃる。  



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