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1999.09.15
まずはいきなり問題。
ここに時計がふたつあるとする。目覚まし時計でも腕時計でも柱時計でも、なんでもかまわない。ただ、どちらもデジタル時計ではなく、針がついているアナログ時計だと思っていただきたい。秒針は、あってもなくてもかまわないし、両方がまったく同じ時計である必要もない。一方にはキティちゃんの絵が書いてあって、一方はかなり古びた柱時計というようなパターンでもよい。とにかく、アナログ時計がふたつあったとする。で、このふたつの時計のうち、一方は一時間に一分ずつ遅れて行き、もう一方は完全に止まっているとした場合、さてどちらの時計がより正確か、というのが問題。
これは、ほんのちょっとひねくれた性格の持ち主ならば、すぐにわかるものだと思う。だからといって「俺は素直な性格だから、さっぱりわかんねぇよぉ」などといわないように。あなたには、正解がわかっているはずだ。もちろん、本当にわからないからといって「よし、俺はやっぱり素直な性格なんだ」などとも思わないように。それもあまり自慢できることではないのだから。
正解は「止まっている時計の方が正確」なのである。なぜか。
まず止まっている時計だが、こいつはなんと、一日に二回、午前と午後に一度ずつ、きちんと正しい時刻を指し示すのである。それに対して、一時間に一分ずつ遅れる時計は、少しずつ遅れていって、一日たつと24分遅れていることになる。そのまま遅れ続けて、次にたまたま正しい時間を指し示すのは、ちょうど半日分遅れたとき、つまり、720分遅れたときになるわけで、それだけ遅れるためには、なんと約30日かかるのである。つまり一ヶ月に一度しか、正しい時刻を指し示さないことになるのだ。多分計算はあっていると思うが、自信はない。自信はないが、少なくとも一日に二回より多いということはないだろう。
このように、止まっている時計が日に二回、正しい時刻を指すのに比べて、遅れていく時計は、月に一度しか正しい時刻を指さないのである。つまり、動いてはいても遅れていく時計よりも、止まっているの方がより正確なのである。
ご理解いただけただろうか?
では続けて次の問題。このふたつの時計のうち、どちらがまともに使えるか。
これはもう考えるまでもない。止まっている時計なんぞ、時計としての役には立たないことは、誰にでもわかるだろう。骨董価値のある時計という場合もあるかもしれないが、今は時計として使い物になるかどうかを問題にしているのだから、それは考えない。一方、一時間に一分ずつ遅れる時計は、その事実さえわかっていれば充分使用に耐えるし、こまめに時間をあわせ直すことによって、何の問題もなくなってしまう。
さてこうしてみると、どうやら、必ずしも正確なものが使い物になる、とは限らないようである。正しいからといって、それが役に立つとはいえないし、正しくないからといって、役に立たないと決め付けてもいけないのである。正しいことだからといって、それがいいことだと決め付けてはいないだろうか? 間違いだからといって、切り捨ててはいないだろうか?
もちろん、わたしのこの論理には、実は大きな間違いがある。たしかに大きな間違いはあるのだが、ここでもう一度思い出していただきたい。正しくないからといって、必ずしも役に立たないこととは限らないのだ。
ここで納得したあなた。この文章のタイトルを再度確認するように。それでも意味がよくわからないあなた。いい儲け話があるんですけど、一口乗りません?(笑)
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