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[ エッセイのようなモノ ]
そして伝説へ!

1999.10.27

 それはそれとして、都市伝説のはなしである。まだやるかって?(笑)  
 「伝説」というのがいったいなんなのか、結局よくわからなかったのだが、幸運にもありがたい本をみつけた。「恐怖の都市伝説/子どもが消える!」という本である。表紙だけ見ると、怪談系のはなしばっかりかな、と思うとそうでもなくて、いかにもありがちなそれこそ「都市伝説」の宝庫でして。って、あたりまえか。その手のはなしを集めた本なんだから。  
 まあここは「読んだ本の感想文のようなモノ」のコーナーじゃないんで、本の感想は省略するとして、中に都市伝説の定義が載っておりました。曰く「真実にしてはできすぎている話」ということらしい。もちろんこれは、この本の著者、作務和一氏の見解なのだろうが、この方は「都市伝説」の分析・調査をしていて、ホームページも開設している人らしいので、一応この説を取ることにする。興味のある方は氏のホームページを見に行くといいだろう。ただ、本のどこにもURLが書いてないのだが(笑)  
 しかしわたしの場合、「伝説」といわれて思い出すのが、「ドラゴン・クエスト」とか、あの手のお話に登場する「勇者伝説」のようなものなので、恐いという感覚はあまりない。伝説とは、もともとそういうものだと思っていたのだが、いざ「都市伝説」について考えてみると、どちらかというと恐いはなしが多いような感じである。これはやはり納得できない。個人的な好みとしては、「伝説」とは「勇者伝説」のように「世界を救う」とか「人々を導く」とかいった方向に行ってほしいのだ。が、世知辛い今の世の中。そういうことを言い始める人ってのは、どういうわけか人々を洗脳してしまったり、地下鉄で毒ガスぶちまけたりするようになってしまう可能性があるようで、そういう意味ではやっぱり伝説ってのは恐ろしいものなのかもしれない。  
 古くから伝わる伝説というものに、どういったものがあるのか詳しくは知らないが、大きくわけてふたつのパターンがあるようだ。つまり「救済伝説」と「破滅伝説」  
 ところがこのふたつ、じつはほとんど同じようなモノであることが多い。なんせ、何事もなく平温無事に暮らしている人々は「救済」する必要がないのだから、「救済」するためには、少なくとも「破滅」の直前までは行かなきゃいけないわけだ。だから、「救済伝説」にしろ「破滅伝説」にしろ、どちらにしても一度は「破滅」に近づくことを余儀なくされる。近年の「破滅伝説」に近いものとして、例の今年の7の月に何かある、という予言があったが、これは残念ながら「伝説」とはいわない。「伝説」の定義がちゃんとできていないのに、「これは伝説とはいわない」などと言い切ってしまうのも問題があるような気がするが、「伝説」というもののあり方のひとつに「誰が言ったか知らないが」というのが、はっきりと存在しているのは事実だ。つまり、誰が言い出したかわかっていることは、伝説にはなり得ないのである。  
 そういった意味では、匿名性のあるインターネット上の発言なんぞは、伝説になり得るような気がしないでもないが、結局は「インターネットでだれそれがいっていた」ということになって、これも伝説にはなりようがない。だいたい、現代の情報伝達能力はすさまじいから、「伝説」そのものが伝わる前に、誰が言ったかが先に伝わって、伝説があとからついてくるなんてことになりかねない。  
 まあ、現代では「伝説のミュージシャン」みたいな使い方もされちゃうわけで、こうなってくると「伝説」なんだか「カリスマ」なんだかわからなくなってくる。そのうち、「口裂け女は無免許だった」なんて話題が、マスコミを騒がせるのかもしれない。  
 結局都市伝説の話はしなかった(笑)  



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