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[ エッセイのようなモノ ]
当たるも八卦

1999.12.01

 最近、動物占いというのが流行っているらしい。それによると、わたしは羊なんだそうで。それだけ聞くと、「嘘こけ!」という知り合いの罵倒が、聞こえてきそうな気がする。自分が羊だと知ったときには、自分でも「嘘こけ!」と思ったのだから、事情を知らない知り合いが罵倒してきても、怒るつもりはない。ところがこの羊というのが曲者で……まあ、どんな性格なのかは、書店で立ち読みでもして確認していただくとして、大筋では納得のできる結果が出ているようである、とりあえずわたしに関しては。もっとも、自分としてはあまり納得できないのだが。  
 それはそれとして、古今東西いろいろな占いがあって、よく当たるとか当たらないとか、いろいろいわれている。最近では、お尻占いとかおっぱい占いなんてのもあるそうで、それを理由に女性のお尻やらおっぱいやらを見ることができるのだとすると、占い師という商売もうらやましい。ご希望の女性がいれば、わたしが占ってしんぜよう。どうやって占うのかは知らないが。  
 有名なのは星座や血液型、あとは手相とか姓名判断なんぞというのがあるが、血液型占いの場合、考えてみればかなり大胆なやり方である。なにしろ、人間の性格をたったの四つに分類してしまうのだから、考え出した人の性格は、かなり大雑把だったに違いない。その人の血液型が何型だったのか、気になるところである。  
 占いではないが、他人に悩みを相談するときに「男の人って、こういうときはどう考えるの?」などという相談のしかたをする女性が、たまにいる。これなんて、血液型占いの比ではない。なにしろ、人間の性格を男と女のふたつにわけて考えようってんだから、大雑把以前の問題である。そういう理由で、性別占いというのは、さすがに存在しないようである。  
 同じ生年月日の人だったら同じ人生を歩むのか、と星占いを否定する人もいるようだが、それは、星占いしかみていないからいけないのである。その他にも、血液型やら手相やら名前やらおっぱいやらお尻やら性別やら、ありとあらゆる「占いに利用できる項目」を加味していったら、おそらく同じ結果にはならないはずである。きちんと統計を取れば、それなりの結果は出るはずである。  
 つまり、そういうこと。  
 本来占いとは、統計学のひとつなのである。つまり「過去に、こういう手相の人の大部分が、こういう性格だった。だから、あなたもそうである確率が何パーセント」というレベルのものなのである。実はこれに似た統計学が、現代でも頻繁に利用されているのだが、だれもそれを占いだとは思っていない。一般に「天気予報」といわれているあれである。あれは「過去、こういう気圧配置のときには、こういう天気になった。だから……」という統計に基づいたものなのである。  
 占いを目くじら立てて否定する人は、できれば天気予報も、目くじら立てて否定してほしいものである。もっとも、占いにしろ天気予報にしろ、統計の産物だという点は同じなのだが、天気予報の方は、データとしての予測と結果は日々追加されていて、確実に統計結果を向上させているのに対して、占いの方はどちらかというと占いっぱなしで、結果を確認して次の占いに役立てている、という話は聞かないから、信憑性の上で同列に扱うのは、気象庁に対して失礼にあたるのかもしれない。  
 そこでとりあえず、占いも国家試験かなんかを設定して、資格制にしてしまうと面白いかもしれない。きちんと結果を確認して、統計の信憑性を高めていくのである。将来を予測する、というのは、結果の確認が難しいだろうが、性格の方はなんとかなるだろう。名称も「占い師」なんてものでなく、それっぽいものにする。つまり「気性予報士」と。  



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