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[ エッセイのようなモノ ]
信じる者は掬われる

1999.12.08

 十一月のある日のこと。一通のメールがわたしのもとに届いた。曰く「あなたのサイトを雑誌で紹介したいのですが、よろしいでしょうか」というものだった。  
 ここでわたしの性格が発揮される。疑り深いのである。以前、瀬名秀明氏からメールをいただいたときにも、誠に申し訳ないが、最初は疑ってかかっていた。「誰かのいたずらじゃねぇのか?」と思ってしまうのである。  
 このように人が人を疑うようになる理由は、大きくわけてふたつある。  
 まず、自分自身が他人を騙すから、という場合。これは、自分がやるんだから、他人もやるに違いない、という誠に素直な考え方だ。逆にいうと「人は人を騙すもの」と信じているともいえるわけで、ある種、人を信じていることになるのかもしれないが、そんな信じ方はありがたくない。こういう人は、人を騙すことを自分の義務と心得ているフシさえある。それによって他人に警告を与えよう、という立派な心がけの持ち主なのかもしれない。騙される側にしてみれば、いい迷惑だろう。  
 つぎに、過去に騙されたことがあるから、という場合がある。他人に騙されて、いやな目にあったことがある人は、ほとんどの場合、それから先他人を素直に信用しなくなる。多くの人が、このパターンだろう。  
 疑うようになるだけならまだしも、場合によっては、自分も騙す側に寝返る場合もある。そういう人は、「目には目を」という教えを忠実に守っている、立派な人である。  
 通常は、騙す側に寝返らないまでも、他人を信用できなくなって、常にまわりを疑いの目で見るようになってしまう。そういう人は、騙す側としても騙すのが大変なので、あまり騙さなくなる。だが、まわりをまったく信用しないで生きていく、というのはかなり大変なことなので、その人も次第に心を開くようになってくるだろう。騙す側が、その隙を狙わないはずがない。かくしてその人は再び騙され、今度こそ間違いなく、騙す側に寝返ることになる。騙し手は増える一方である。  
 中には、他人を騙すことなどなく、ただひたすら騙され続ける人というのもいるらしい。そういう人には、ご愁傷様という他ないのだが、実はこういう人こそ、世の中には必要なのである。いや、カモとかそういう意味じゃなく(笑) やはり人間は、信用しあって生きていくのが筋道なのだ。人が人を騙すなんてことは、本来あってはいけないことなのだ。  
 もちろん、わたしが疑り深いのは、生まれついての騙し手だからである。  
 さて、冒頭に紹介したメールだが、とりあえずOKすることにした。仮に嘘やいたずらのたぐいだったとしても、わたしには実害がなさそうだったからだ。一応、その前に書店に行って、その雑誌を買ってはみたが、ひょっとしてそれが手だったのかもしれない。少なくとも一冊は多く売れたわけだから。  
 あ、立ち読みでもよかったのか。  
 で、その雑誌の内容だが、若い男性向けのもので、メインはファッションのように見えた。ほとんどの方がご存知だと思うが、わたしもこのサイトも、ファッションというものには縁がない。「何でうちのサイトを?」というのが、正直な疑問である。掲載OKの返事とともに、そのあたりの疑問も投げかけてみたところ、  
 「初心者向けのインターネットの特集の中で、人気のサイトやユニークなサイトの紹介のひとつ」  
 という答えが返ってきた。うちのサイトが人気があるとは思えないので、ユニークな方に該当するのだろうが、いまひとつ釈然としない。うちってそんなにユニークか?  
 もしかしたら「ここには近寄るな」ってな紹介のしかたなのかもしれない。それならまあ、納得できないこともない。  
 すべては12月10発売の月間Gainerを見れば、明らかになるはずである。  



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