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| めでたさも中吉ぐらいなり |
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2000.01.05
新年明けたから、おめでたいのだそうである。だがしかし、今年は西暦2000年。二十世紀最後の年である。ってことは「世紀末中の世紀末」ということだ。もちろん、デーモン小暮には関係ない。 たしか、世紀末ってのはあんまりよくない時期なのだそうで、そういった意味では、新年明けなかった方がよかったのではないか、と思うのだが、世の中どうもそういうわけにはいかないらしい。 だったら逆に考えて、世紀のはじめってのは良い時期なのか、というと、このあたりはあまりはっきりしない。2000年から2001年になった瞬間に、何かが変わるとも思えない。まあ、変わるとしたら徐々に変わるのだろうから、景気が回復するのも2010年あたりからなのかもしれない。 それはそれとして世紀末。 これは実は極秘中の極秘情報なのだが、実はコンピュータ業界では、この「世紀末中の世紀末」が来ないようにする計画が、かなり以前から密かに進行していた。世界中のすべてのコンピュータに対して「1999年の次は1900年か1100年ってことにしろ」という命令を与えることによって、世紀末の到来を回避するという、極めて壮大な計画だった。それを、不埒な愚か者が「それはプログラムのミスだ」なんぞと言い始めたのが、2000年問題の始まりである。事情も知らない大馬鹿者が「2000年問題だ」とかいって騒いだおかげで、せっかくの苦労が水の泡になってしまった。本当なら、今年は2000年じゃなかったはずなのに。 ってな間抜けな冗談は置いといて、大晦日から新年にかけてのカウントダウンを、わくわくしながら楽しみにしていたのは、たぶんわたしだけではないはずだ。わくわくしていた理由はふたつある。 ひとつめはもちろんY2K問題。この場合のY2Kは、忠臣蔵の方ではない。2000年になった瞬間に、なにかが起きるに違いない、起きたら面白いな、起きてくれないかなぁ、起きろよ、などと不謹慎なことを考えた輩は、かなり大勢いたに違いない。 わくわくしていたもうひとつの理由は、これまた不謹慎にも、カウントダウンの会場で、テロかなんかがあったらすげぇなぁ、というものである。少し不謹慎すぎるように思うかもしれないが、あのトム・クランシーだって、そういう小説を書いている。わたしはその小説を暮れに買い込んで読んでいたのだが、現実が小説の通りにならなかったので、面白くなくなって、途中で投げ出してしまった。不謹慎の極みである。 まあ、幸か不幸か、どちらのパターンでもたいしたことは何も起こらなかったようだが。イギリスだかどこかで、レンタルビデオの延滞料金を100年分請求された、ってな間抜けな事件が起こったぐらいか。ニューヨークで事前に爆発物が発見された、という噂も聞いたが、本当かどうかは確認していない。 で、新年だ。 ここ数年、わたしは正月は家でごろちゃらしてすごすことにしている。いや、正月じゃなくたって怠惰な生活を繰り返しているのだが。ところが、実際にはあまり長い間、ただゴロゴロしていることもできなかったりする。まだまだ人間ができていないようだ。そこで、しかたなく初詣なんぞに行ってしまったりするのだが、死んだ爺ちゃんの遺言で、仕事と人ごみは避けるようにいわれているので、なんとか大社だのなんとか神宮だのに行ったりはしない。遠い昔に川崎大師に行って、普段なら10分もあればたどりつく距離を、何時間もかけたことがあって、それ以来二度と行かないことにしている。 そもそも、普段から不信心な人間が正月にだけ祈っても、神様が聞いてくれるとは思えないのに、それに加えてあの人の多さである。たぶん神様だって、ひとりひとりの言うことなんぞ、いちいち聞いちゃいないに違いない。十人に一人ぐらいならまだいい方で、百人に一人、千人に一人ぐらいの割合でしか祈りを聞いてもらえない可能性だってかなりある。ただまあ、宝くじの「大勢が買う売り場の方が、当たりも出やすいらしい」という論理と一緒で、大勢集まる神社の方が、御利益がありそうな気がしないでもない、という心理もわからなくもない。その考え方が、あまりあてにならないのも事実だが。 わたしはといえば、そういう混み合ったところには行かないで、もう何年も前から、初詣は地元の神社に行くことにしている。何せわたしが通った幼稚園が、この神社の経営ときているので、付き合いはかれこれ35年近くになる。それだけ付き合いが長ければ、人間同士の場合ならば、多少の優遇はしてくれるはずである。神様ってのはその点どうなんだろう。あまり優遇されている感じはしないのだが。もっとも、幼稚園の頃からずっと、毎年かかさずその神社に初詣に行っているわけではないので、そのあたりもちゃんとチェックが入っているのかもしれない。そうだとすると、神様も意外とみみっちい。ってなことを書くから、神様からも見放されちゃったりするのだろうが。 ただ、可能性として、優遇されているにもかかわらず毎年この状況、ってことも考えられる。つまり、もし御利益がなかったら、もっとひどい状況になっているはずのものが、神様のおかげで、この程度で済んでいる、ということだ。真相がどうなのかは、神のみぞ知る。確かめてみる勇気はない。だいたい、確かめようにも確かめようがない。確かめるためには、初詣に行った場合と行かなかった場合の両方の結果をチェックする必要があるのだが、そんな器用なことは、わたしにはできない。どなたか、そういう能力をお持ちの方がいらっしゃったら、試してみていただきたい。 そういえば、わたしは毎年初詣に行くと、必ずおみくじを引くことにしているのだが、これがまた、毎年変わらず末吉ってのも、うれしいのやら悲しいのやら。まわりの人間に言わせると、「平穏無事な一年をすごせるんだ」ということになるのだが、なんだか、自分の人生すべてが末吉のようで、少し悲しくもなってくる。で、またこの末吉というやつの立場がよくわからない。中吉とか小吉とかいろいろあるが、どちらが良くてどちらが悪いのか、いまひとつはっきりしない。大中小の間のどこに、単なる吉が入るのか、末吉の立場はどうなるのか。だいたい、よく考えてみたら、小吉ってのが存在するのかどうかも、記憶がはっきりしない。少なくとも小吉が「こきち」でないのは確かだ。遠い昔に「素浪人花山大吉」というドラマがあったのだが、それも今の話題とは無関係。大吉から凶までの間の、正しい並び順をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご一報いただきたい。 |
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2001.07.04
先日、とある本を見ていたら、占いの順番が載っていまして。その本によれば、良い方から「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶・大凶」となるようです。この件、これにて一軒落着、ということにしてしまいましょう。 |
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