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[ エッセイのようなモノ ]
オメ、なまっでネが?

2000.01.27

 なまりというのがある。金属の鉛ではない。言葉の方の訛りのことだ。  
 一方、方言というのもある。放言ではない。それは、好き勝手に言い散らすことだ。  
 訛りと方言の違いはいったいなにか、というと、訛りというのは、おおむね発音や音の上げ下げの違いをいうのに対して、方言というのは、語彙や文法的な違いも含まれる、ということになるようである。そういう意味では、訛りは方言の中に含まれるのかもしれないが、そのあたり、調べたかぎりでははっきりしない。もちろん、どちらも同じ原語がベースになっているのがお約束だということは、いうまでもないことだろう。ドイツ語と英語は、べつに双方方言でも訛りでもなんでもない。同じ英語なら英語、日本語なら日本語の中だけのはなしになる。  
 どう違うかというと、たとえば、方言のほうでいうと、ボボとかオメコとかベッチョとか。って、まずいな、こういう例は(笑)  
 まあつまり、同じものの名称が地方によって異なったりするのを方言というらしい。言葉を略したり、繋げてしまったりするのも、方言の中にたぶん入るのだろうと思う。たとえば、関西では。って、そういうくくり方をすると関西の人はおおむね、  
「関西ってひとつにまとめるな。大阪と京都と奈良じゃ全然違うんだ。大阪の中だけでも、かなり違うんだぞ」  
 と、実際には関西弁を使って怒るのだが、申し訳ないことに、わたしにはちゃんとした区別ができていないので、ここではとりあえず、「関西のある地方」とさせていただく。  
 で、関西では(笑) 「ちがう」というのを「ちゃう」と略す。この略しかたは、聞いていてまあ理解できる。トミーズ雅のネタで、  
「これはチャウチャウではありませんか?」  
「いいえ、チャウチャウではありません」  
 というのを大阪弁でやると、  
「チャウチャウちゃう?」  
「ちゃうちゃう。チャウチャウちゃうて」  
 となる、というのがある。実際にはもっと長かったはずだが、はじめて聞いたときには爆笑した記憶がある。  
 同じようなネタで、武田鉄矢の、「ここは取ってあります」が「とっとぉと」「すきです」が「すいとぉと」になるというのもあるが、チャウチャウのインパクトには勝てそうもない。  
 まあとにかく、言い方そのものが変わってしまうのが方言だと考えていいだろう。つまり、文字にしたときにも、その違いがはっきりわかる、というわけだ。  
 それに対して訛りというのは、おおむね音の違いだったりする。有名なのは、関西と(ってまた怒られるか?(笑))関東とで、音の上げ下げが逆になるというものだ。つまり、箸と端と橋が、音だけ聞くと関西と関東とでは入れ替わってしまうのである。ただし、あの有名な一休さんが橋の端を渡らなかったのは、訛りでもなんでもない。彼は単に漢字を正しく読めなかっただけだ。  
 あとはまあ、「さしすせそ」が文字で書いた場合にはそのままなのに、発音すると「ざじずぜぞ」になってしまうなどというのもあるようだ。つまり、訛りというのは、文字で書いてもはっきりしない。  
 わたしは、訛りにしろ方言にしろ、意味さえ通じれば気にしない方なので、かりに「橋」が「箸」に聞こえたとしても、前後の文脈から「橋」だとわかればそれでいいと思っている。だから、会話をしている場合にも、相手に「それ違う」と注意することはめったにない。通じてればそれでいいじゃん。  
 そういった意味で、最近の若い連中(ってこういうくくりもよくないのだが)のおかしなイントネーションも、彼らがみんな訛りが取れないんだ、と思えば気にならない。はずなのだが、気になってしかたがないのは、わたしがオヤジだからだろう。  



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