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[ エッセイのようなモノ ]
音楽のない一日(後編)

2000.02.23

 音楽を聴かずに過ごす一日はまだ続く。  
 なんとか苦労をかさねて、無事職場までたどり着くわけだが、そこで安心してはいけない。ついうっかりパソコンのスイッチを入れたりすると、ウィンドウズが「ちゃらぁぁぁん」かなんかいいながら起動してしまうのだ。困ったものである。もっともわたしが職場で使っているパソコンは、意図的にかどうか、音楽は鳴らないようになっているので、使っている間には、無粋な「ぶ」という音しかしない。これは音楽とは言わないだろう。  
 まあ、中には職場でパソコンを使わない人もいるだろうし、わたしのように「ぶ」としかいわないパソコンを使っている人もいるだろうから、これもなんとかかわすことはできるだろう。だとしても、職場で一日過ごしている間は、音楽なんぞ聞こえてこないかと思いきや、外の通りを、何の車だか知らないが、音楽を流して通っていったりする。ここまで来ると、何かの挑戦か攻撃なんじゃないかと思えてくる。気のせいだろうか。  
 昼飯を外に食いに行くわけにもいかない。なんせ、どの店も必ずといっていいほど、店内では音楽を流しているのだ。コンビニエンスストアに買い物に行くこともできない。しかたがないので、昼飯を抜いて、夜まで我慢することになる。  
 これが学生の場合はもっとひどくなる。  
 始業と終業のチャイムは、ほとんどの場合ウエストミンスターだかビッグ・ベンだかの鐘の音だ。これはもう避けようがない。場合によっては、音楽の授業などという地獄が待っている。かりに自分のクラスに音楽の授業がなくても、静かにしていると、かすかに聞こえてきちゃったりもする。  
 わたしは一日家にいるから大丈夫、なんて思ってる主婦の方、ご注意ください。  
 友達に電話をかけて、話し込んでいる最中に、相手が「あら、キャッチだわ」なんていおうものなら、あわてて電話を切らなければならない。保留中に音楽が流れたりするからだ。じゃあ電話はしない、なんて家の中でじっとしていたら、遠くから「石焼きぃぃぃ芋ぉ」とか聞こえてきちゃって。これもりっぱな音楽のひとつである。最近は少なくなったかもしれないが、竿竹売りや金魚売りの売り声。あれも音楽の一種だろう。  
 仕事が終わったお父さんも、まっすぐ家に帰らなければならない。間違っても「ちょいと一杯」などと思ってはいけない。パチンコもだめ。どう考えても寄り道せずに家に帰るしかないのである。家に帰ってもテレビやラジオをつけるわけにもいかない。まさかCDを聞くなんてぇ間抜けなことをする人はいないでしょうが、ビデオを見るわけにも、テレビゲームをするわけにもいかないのだ。  
 こうなると、あとはささっと飯食って風呂入って寝るしかない。で、風呂につかって気が抜けた瞬間に、ついうっかり鼻歌うたって、なんとも間抜けなオチになったりする。  
 さて、こうやって考えると、われわれの生活というのは、はっきりいって音楽漬けに近いものがあるようだ。好むと好まざるとにかかわらず、最低でも一日一回はなにかしらの音楽を耳にしていることになる。  
 不思議なことに、それに対して誰かが苦情をいったとか、嫌音運動をしたとかいう話しは聞いたことがない。考えてみれば、「クラシックは苦手で」とか「演歌は嫌いだ」とか「ロックなんてうるさいだけ」という好みは聞いたことがあるが、音楽そのものが嫌いだ、という意見は、いまだかつて聞いたことがないような気がする。つまり、世の中には、音楽そのものが嫌いという人はいない、ということになるのだろうか?  
 煙草の煙で顔をしかめるように。鯖や漆でかぶれるように。杉の花粉でくしゃみ鼻水が出るように。音楽を聴くとジンマシンが出る、という人が、広い世界に一人ぐらいはいてもいいと思うのだが、いかがなもんだろう。  



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