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2000.05.07
なんでも掲示板の方に、エッセイのようなモノの書き方を書いてくれ、という要望があった。そちらでも回答したのだが、実は以前ネタがなかったときに(って、今でも慢性的にネタはないのだが)、そういう内容のものを書こうと思ったことはある。実際に途中まで書いたことは書いたのだが、そのファイルはどこかにいってしまった。いや、本来パソコンの中のファイルが本当にどこかにいってしまうことなどありえないないので、正確には「ついうっかり削除してしまった」といった方が正しいかもしれない。本当は「ついうっかり」ではないかもしれないが、そのあたり、いーかげんな性格だもんで、覚えていない。まあはっきりいって、あまり面白い内容ではなかったと記憶している。
で、今回読者の方から「エッセイのようなモノの書き方を」と言われたわけだが「じゃあ書きましょうか」というほどわたしの性格が素直ではないことは、みなさんご承知のとおり。今回は書き方ではなく、読み方である。それも「エッセイの」ではない。「エッセイのようなモノの」である。つまり、よそでは一切通用しない、ここだけのルール。そんなものがあるのかどうかは、わたしもよく知らないが。
念のためにお断りしておくが、ネタがないからそんなもので一回分稼ごうとか、「読み方」と「書き方」で一回ずつ書けば、それだけ回数が稼げるぞとか、そういった意図は、はっきりいって山ほどある。まあ、いつものことである。
さてそこで、この「エッセイのようなモノ」の正しい読み方だが、まずはもくじを見ていただければわかるように、最新のものが先頭に来るようになっている。はじめて来た人がそこから読み始めると、公開された順番とは逆に読むことになってしまう。これはいけない。できれば時系列にしたがって読んでいただきたい。もちろん、公開した順に読んだからといって、なにか良いことがあるわけでもなし、いい加減な順番で読んだからといって、罰が当たるわけでもない。お好きな順に読んでいただいてかまわない。ただし、前編後編にわかれているものは、できれば前編から読んでいただいた方が、話しが通じやすいだろうとは思う。中には、タイトルがまったく違うのに、話しが続いているものもある。そういうモノで後編から手をつけてしまった場合には、できるだけ早い時点で気がついて、まず前編を読んだ方がいいだろう。まあ、実際にはどれから読もうが読者の勝手なわけで、それについてとやかく言うつもりはない。
で、どれか適当なものを読もうと思って、もくじを眺めるわけだ。2000年5月7日現在の「エッセイのようなモノ」のもくじは、1ページに30件ならぶようになっている。古いものを見たい場合には、「前の30件」などという部分をクリックすると、前の30件のタイトルが一覧表示されるようになっている。古い一覧を見ても読みたいものがなかった場合、「次の30件」で戻ることもできる。「先頭へ」をクリックすれば、先頭のページが表示されるし、「最新へ」をクリックすれば、その時点での最新のもくじを見ることができる。便利である。作った人は、読者のことをよく考えている。か、どうかはさだかではない。
さてここで、タイトルから内容を推理してどれかを選ぶわけだが、気をつけなければならないことがひとつある。タイトルを信用してはいけない、ということだ。特に、タイトルに「正しい」と入っている場合、その内容はほぼ確実に正しくない。「正しい嘘のつき方」などというタイトルを見て、本気で正しい嘘のつき方が書いてあると思ってはいけないのである。もっとも、正しい嘘のつき方を本気で探している人物というのは、それはそれでおそらく問題があるはずである。その場合、タイトルに騙された、と怒るよりも前に、「このタイトルこそが正しい嘘のつき方なんだな」と納得するのが正しい。というこの文章も、実は正しくなかったりするかもしれないのだが。
次に本文を読むわけだ。その場合の注意点は、じっくり読んではいけない、ということぐらいだろう。じっくり読んで内容を理解しよう、などと思ってはいけないのである。存在しないものを理解しようとすることほど、虚しいことはない。最初から「どうせ内容なんてないんだし」と思って読むのが一番である。そうすれば、万が一おもしろかったりした場合には得をした気分になれるし、本当に内容がなかった場合にもがっかりしたりしなくて済む。それがお互いのためである。
また、読み終わったあとに、作者にメールを出そうなどと思ってもいけない。あなたがメールを出そうと思った理由の99%は、おそらく内容に対する抗議や非難に違いないからだ。繊細で気の弱い著者は、その手のメールには非常に敏感である。そんなメールをもらってしまったら、打ちひしがれて、ショックのあまり、なお一層その手の内容を書くことに生きがいを感じるに違いない。あなたがその手の内容をもっと読みたいと思っているのなら別だが。
だからといって、その手の内容が読みたいからと、わざと抗議や非難のメールを出し続けてもいけない。繊細にして気が弱く、思い込みの激しい著者は、「こいつ、俺に気があるんじゃないか」と思ってしまったりする。それが女性からのメールならばまだいいが、男性からのメールの場合、繊細にして気が弱く、思い込みの激しい怖がりの著者は、恐怖のあまり自制心を失い、わけのわからないエッセイのようなモノを書いてしまったりする。たとえ女性からのメールでも、繊細にして気が弱く、思い込みが激しく怖がりで疑り深い著者は、「ホントに女か?」と疑りつつも、メールが来るのを楽しみにしてしまったりする。相手の顔も年齢もわからないのに、である。それで、ある日相手が凄い顔だったり、凄い年齢(ってどんなんだ?)だったりしたことがわかったとき、著者はガッカリすると同時に怒り狂い、なお一層わけのわからないエッセイのようなモノをかきまくったりする。
もちろん、若くて美人の女性からのメールは大歓迎だし、写真なんぞ貼付してもらったら大喜びするし、その写真がヌードだったりした場合には、喜びにうち震えて、さらに一層わけのわからない文章を書くようになる。
したがって、著者にメールを出す場合には、謙虚に「時々読んでます」程度の内容のものを、一回出すにとどめるのが正しい。間違っても「いつも楽しみにしています」などと書いてはいけない。そんなことをしたら、プレッシャーを感じて、二度と書けなくなる。それを狙うってのも手だが。
今回の内容、まさかマジに取る人はいないよな。
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