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2000.07.08
実は、わたしの部屋の本棚には、文章の書き方系の本、メモや手帳関連の本と並んで、催眠術だの暗示だの本がかなりたくさんある。
別に、覚えた催眠術を使って女の子にいたずらしようとか、他人を暗示にかけて自分の思い通りに動かそうとか、そうじゃなくてもせめてウケを狙おうとか、そんなことを考えているわけではない。ってな言い訳をかますところを見ると、まんざらそういうつもりがないわけではないような気もするが(笑)
幸か不幸か、真剣に練習したことはないので、わたしは他人に催眠術をかけることはできない。正確に言えば、やったことがないから、できるかどうかわからない、と言った方がいいかもしれない。もしかしたら、やればできるのかもしれないが、本を読んで理屈がわかったからといって、それをすぐに実践できるというものではない、ということは、みなさんおそらくご承知だろう。それに、もともとわたしは他人に暗示をかけようとは思っていない。もちろん、多少は「できたらすごいかな」と思っていなくもないのだが、それで女の子にいたずらしようとか……やはり、多少は思っているらしい(笑)
実際にわたしがその手の本を読むのは、自己催眠やら自己暗示やらを覚えたい、というのが主な目的である。
すでにみなさんご存知だろうが、わたしは実に意志が弱い。どのぐらい意志が弱いかというと、朝起きないぐらい意志が弱いのである。なんだそんなことか、と思うなかれ。朝起きないってことは、起きるのは昼ごろだということである。休日の話しではない。平日で、仕事に行かなければならないのに、昼まで寝ているのである。起きなければならないことはわかっている。わかっていてそれができるぐらいなら、困りはしない。起きなければならないのに、起きられないのである。いや、正確には「起きなければならない」という気持ちが薄いと言ってもいいかもしれない。寝ていたいのだから、辛い思いをして起きるよりは寝ていよう、という発想が頭に浮かんできてしまうのだ。そして、起きるべき時間になっても起きない。それほど意志が弱い。
それほどまでして寝ていられるというは、ひょっとすると本当は意志が強いんじゃないか、という気もしてくるほどだ。もちろん、そんなはずはないのだが。
わたしの意志が弱いことを証明する材料は、他にも山ほどある。だが、今ここでそれを並べ立てるのはやめておく。それだけで「エッセイのようなモノ」十回分ぐらいのネタは稼げるだろうと思うのだが、まだそこまで自虐的になるつもりはない。ここではとりあえず、自己催眠を覚えてみようと思ったきっかけが、意志の弱いのを変えたかったからだ、ということだけ理解していただければよい。
もっとも、意志の弱いのを克服しようと考えて、いきなり自己催眠に手を出したわけではない。
日本人の十人中九人は、自分は意志が弱いと思っているとかいないとか。例によって数字はいいかげんだが。そういう事情からか、その手の本も結構出ている。「意志を強くする」だの「自分を変える」だのといったような本だ。翻訳ものも多いところを見ると、意志が弱いのは日本人に限ったことではないのかもしれない。どうやら世界共通の悩みのようだ。で、当然わたしもその手の本を読んだわけだが、これが実にまったく役に立たない。曰く「この本を手に取った時点で、あなたには自分を変えたいという強い意志が芽生えたわけだから、自分を変えるのはたやすいことである」とか「まず目的を持って生きよ。そうすれば必ず自分の性格は変わる」とか。
舐めてんじゃねぇよ。そのぐらいのことは言われなくたってわかってるよ。それができねぇから困ってるんじゃねぇか。と、口に出しはしないが、思ってしまうわけだこれが。
まあ、目的を持てってのは、大事なことだと思う。しかし情けない話しだが、わたしの人生に目的なんぞない。大きいのだろうが小さいのだろうが、自分の人生に目的がないってのは、それはそれで非常に情けないのだが、ないものはしょうがない。自分でそれほど望んでもいないようなことを「目的」と称してみても、結局は人生変わりゃぁしないだろうし。
それでも我慢して読み進むと、例えば朝起きられないのを克服するために、と称して「とりあえずベッドから出ろ」だの「辛くても起き上がれ」だのと書いてあったりする。だから、それができなくて困ってるんだってばよ。その手の本を読んで、わたしが最終的に得た知識は「本を読んだところで、性格なんぞ変わるものではない」ということだった。考えてみると、それって今までのわたしの人生の半分近くを否定しているような気がしないでもないのだが。
<つづく>
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