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2000.10.25
どうも近頃、世の中が大変なようで。火山の噴火だの地震だの大雨だのの被害に遭われているみなさんは、ご苦労なさっていると思う。なにしろ、敵は自然の力である。地球なのである。文句があってもその文句の持って行きようがない。せいぜいが、行政の対応のまずさだの、各種業者の怠慢や手抜き(があったとして)に対して文句を言うことしかできないのだ。幸運にも、今のところ、わたしが住んでいる横浜近辺は、そういった被害にはあっていないが、いつそうなるかはわからないのだから、安心していてはいけないのだろうが、これがなかなか難しい。
これがたとえば、何らかの犯罪で、明らかに犯人が存在する、ということであれば、不満のぶつけようもあるのだろうが、自然を敵にまわして、「どう責任を取るんだ!」と叫んだところで、相手は文字通り聞く耳を持っていない。各種災害に対するいくばくかの補償はあるのだろうが、それだって微々たるものだろう。
おもしろいことに、といっては失礼かもしれないが、神戸の震災のときにはあちこちの雑誌で「都心にも大地震の危険!」ってな特集が組まれた。どこかで水害が起きれば、雑誌はこぞって「都心も水没する」ってな特集を組む。だがそれもしばらくの間だけで、すぐに下火になってしまうわけだ。作る方が取り上げなくなるから読者の興味が薄れるのか、読者の興味が薄れるから作らなくなるのか、そのあたりの因果関係はわたしにはわからない。
そういえば、昔から怖いものの筆頭として、地震、雷、火事、おやじ、というのがあった。残念ながら最後のひとつの恐ろしさは、近年地に落ちているので、近代版ならばさしずめ、地震、雷、火事、未成年、というところか。
もっとも、最近は雷だってそれほど怖くなくなっているようだが。考えてみれば、昔はあまり高い建物というのは存在しなかった。一般の家屋は、いって二階建て。電信柱の方が高かったのである。そういう環境で雷が落ちるとしたら、樹木、鉄塔、電信柱というところだったのだろう。雷が鉄塔だの電柱だのに落ちて、あたり一帯真っ暗闇、ということがよくあった。近年それがなくなったのは、高いビルが増えたためだろう。高いビルを建てれば、雷がそこに落ちる可能性も高くなるわけだ。で、直撃されたら困るから、避雷針なるものを立てる。そうすると、マンションなんぞよりもよっぽど低い位置にある電柱に、雷が落ちることはほとんどなくなってしまうわけだ。
まあ、雷の被害というのは減ったのだろうが、その代わりに水害が多くなっているとも聞く。かつては各所に地面が剥き出しになっているところがあったから、多少の大雨でも、水は地面が吸い込んでくれた。ところが、最近の都心で、地面が剥き出しになっているところなんぞ、ほとんどない。降ってきた雨は、否応なく下水道に流れ込む。普段はそれで問題ないのだろうが、何かの拍子に大雨が降ったりしようものなら、あまりの量の多さに、下水道では処理できなくなる。下水道に入りきらなかった水は道路で順番待ち、ということになるのである。コンビニエンスストアのレジと違って、お待ちの方はこちらへどうぞ、てなことはない。
火事に関して言えば、その件数がそれほど増えているとは思えないのだが、被害は大きくなっているのではないか、という気がする。確かに、江戸の大火と比べたら、死傷者数は少ないかもしれないが、建物が高くなっているぶん、消火や救助活動が大変なのだそうだ。
で、考えてみると、地震、雷、火事、おやじ、の中で、最初のふたつは完全な自然現象なのである。火事の場合もその原因はいろいろとあるだろうが、燃え始めてしまったら、そこから先は自然現象に近いだろう。そうすると、おやじだけが仲間はずれということになる。そうやって仲間はずれにするから、おやじの権威が地に落ちたのかもしれない。
ということは、いっそのこと、おやじも自然現象ってことにしてしまった方がいいのかもしれない。まあ、男は放っておくとやがておやじになるのだから、自然現象といえば自然現象といえなくもないかもしれないが、ここでいうおやじとは、現在使用されている「オヤジ」と違って、父親という意味のはずなので、こればっかりは自然現象とはいえないだろう。
とはいえ無理矢理にでも「おやじ」を自然現象扱いしてしまう。つまり、この冬に関東近郊でおやじが大量発生する。大量発生したおやじは、あたりの穀物を食い荒らして北上していく、とか。天気予報なんぞで、「おやじ警報」だの「おやじ注意報」だのが伝えられたりとか。「午後3時からのおやじの発生率は30%です」とか。なんだか、ショートショートにでもなりそうだ。
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