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2000.12.07
ふと気がつくと、今年もすでに残すところあと一ヶ月を切っている。世間のみなさんは、日々忘年会に忙しいに違いない。もちろんわたしは、死んだ爺ちゃんの遺言をきちんと守る良い孫だから、例年通り、仕事も酒もちゃんと控えて、日々のんべんだらりと過ごしていることは、いうまでもない。
だが、ちょいと待った。今年があとわずかってぇことはつまり、今世紀も残り数週間ということではないか? そうなると、普段ならば年末ともなると忘年会に忙しいみなさんも、今年ばかりはそうも言っていられないはずなのだ。何せ世紀末である。忘年会なんぞやっている場合ではないのである。誰がなんといっても、誰も何もいわなくても、忘世紀会というやつを開催しなくちゃいけないのである。もちろん、年末でもあることだから、忘年会は例年通りにとり行う。飲む理由、飲む機会が倍に増えることに、文句をいう酒呑みはいないだろう。こりゃもう酒呑みの方々には、うれしい年末、世紀末に違いない。
単純計算でいけば、忘年会をやりつつ忘世紀会をやれば、酒を飲む機会は倍に増えることになる。飲む機会が倍に増えるということは、飲み屋に入ってくる金額も倍になるはずで、景気も今の倍になるはずなのである。政府はもっと忘世紀会の開催を奨励するべきだと思うが、いかがなもんだろう。問題は、そんな単純計算はなりたたないだろう、という点なのだが、そういう難しい問題は、わたしの知ったこっちゃない。世間の人々が皆、忘年会と忘世紀会をつつがなく執り行えば、景気は倍になるのである。まあ、単純に飲食店に入ってくる金額が倍になったからといって、景気が倍になるとは思えないのもたしかだし、マイナス景気が倍になったら、景気が悪化するんじゃないか、という意見も、却下する気はないのだが。
だいたい、飲みに行く機会が倍に増えたところで、その財源たる財布の中身は、例年通りのはずだから、飲み屋に払える金額も、結局素直に倍になることはないだろう。場合によっては、一回の飲み会に割り振る金額は、例年以下ということも考えられる。そういう意味では、政府がもっと忘世紀会に力を入れて、忘世紀会助成金を出すのが望ましい。ただ、財政困難なおり、政府もそんなに資金はないだろうから、そこはそれ、税収を増やす以外に手はない。では、どこから税金を取るかだ。
それは当然、酔っぱらいから取るべきなのである。別に、酔っぱらいに施す金は酔っぱらいから取れ、などという了見の狭いことを考えているわけではない。忘年会と忘世紀会の二段構えのおかげで、飲み会の機会が増えるということは、巷にあふれる酔っぱらいの数も、倍に増えるということなのだ。つまり、それだけ多くの税収が見込める、ということ。この収入源を、政府は見逃してはいけない。税務署の職員は、夜の繁華街を巡回し、酔っぱらいを見かけたら片っ端から税金を徴収して歩く。なんせ年末、世紀末の夜の繁華街である。酔っぱらいにはことかかない。酔っぱらっていない奴を探す方が難しいかもしれない。そうなれば、酔っぱらい一人から、千円だけ徴収したとしても、総額はかなりのものになることは間違いない。
そして当然のことだが、忘世紀会助成金の給付は、申告した者に対してのみ行われ、なおかつその手続きは面倒な上に時間がかかる。給付申請をしてから、一週間で給付されるなんてのは早い方で、場合によっては一ヶ月以上かかったりする。結局忘世紀会には間に合わないようにできている。このあたりのノウハウは、お役所にとっては得意分野だろうから、わたしが指導する必要はないだろう。結局だれも忘世紀会助成金の給付申告なんぞしないから、政府まる儲けになるわけだ。
この新税収案を、わたしに無断で政府が採用したとしても、わたしは文句を言うつもりはない、ジャンジャンやっていただきたい。
念のために付け加えておくが、忘世紀会助成金は忘世紀会以外に使ってはいけないことは、いうまでもない。年が明けてしまった場合には、一切支払われることはない。
もちろん、忘世紀会をやるということは、年が明けたら新年会と同時に新世紀会もやらなければならない。やらなかったら片手落ちである。新年会をやらなければ年が明けた気がしないという人は、新世紀会をやらなければ21世紀が来ないことになる。そこでふたたび政府の税収に協力すべきなのである。
ただし、当然のことながら、新世紀会助成金というシステムは存在しない。支払いの期限を切りにくいから、政府も期限切れを盾にして逃げるのが難しいからだ。
なお、年が明けてからやる新世紀会は、会社の同僚や友人とやってはいけない。ものが新世紀だけに、親戚だけでやるのが正しいのである。ってオチは単なる駄洒落かい!
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