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[ エッセイのようなモノ ]
ああ思い出のクリスマス

2000.12.23

 クリスマスなのだそうである。  
 あまり自信はないのだが、クリスマスというのは、たしかキリスト様だかお釈迦様だかの、誕生日だか命日だかだったと思う。まあ、命日を盛大に祝うってのも変な話しなので、たぶん誕生日の方が正解だろう。西洋でも大々的に祝っているところを見ると、お釈迦様ではなく、キリスト様の誕生日なのだろう。お誕生日おめでとうございます。なんせ今年は西暦二千年である。ロウソクの数も大変だろう。一息に吹き消すには、かなりの肺活量が要求されるに違いない。下手したら呼吸困難に陥る可能性もあるので、気をつけていただきたい。その前に、ロウソク二千本を差すことができるケーキを用意しなきゃならないってのが、かなり大変な仕事になるような気もするが。  
 ってな間抜けな冗談は置いといて。  
 ご存知の方もいらっしゃると思うが、クリスマスというのは十二月二十五日である。昨今世間で騒いでいる十二月二十四日は、本当は「クリスマス・イブ」という、クリスマスの前夜祭なのである。本来のキリスト様の誕生日は、十二月二十五日。  
 わたしの子供の頃の記憶によると、お誕生日パーティーというのは、基本的には誕生日の当日に行われた。ケーキがあったり、親からプレゼントをもらったりしたのは、その日の夜だったような記憶がある。ところがどういうわけか、キリスト様の誕生日は前日の夜にお祝いをしているようだ。なんでなんだろう? まあ、わたしのような一般人とは扱いが違うのかもしれない。  
 クリスマスというと思い出すのが……思い出すのが……  
 実はわたしには、クリスマスというキーワードで思い出すこと、というのがほとんどない。過去に非常に印象的なクリスマスを過ごした経験も、生涯忘れることができないようなプレゼントをもらった記憶も、ないのである。これはもちろん、プラス方向だけでなく、マイナス方向でも同じ事。忘れようにも忘れられないような、悲惨なクリスマスとか、衝撃のあまり記憶から消し去ることもできなくなったようなプレゼントとか、そういう思い出もない。  
 子供の頃には、家族で過ごしていた。ケーキがあり、チキンがあり、プレゼントがあり。ツリーもあったと記憶している。いつだったか、凝り性の父親が、本物の樅ノ木を手に入れて来て、それに飾り付けをしたような記憶もある。その樅ノ木はたしか、やがて庭に植えられ、そのまま大きくなってしまって、もはや飾り付けをするような状態ではなくなり、いつのまにか切り倒された、と記憶しているが、本当のところはどうだったか覚えていない。もしかしたら、あれは樅ノ木ではなく杉かなにかだった可能性もある。  
 年齢があがって、多少色気づいてくると、彼女と過ごすクリスマスイブ、なんてぇものもあったような気がする。ただ一流ホテルのディナーだの、夜景の綺麗なホテルの一室だのといった、豪華なイブを過ごした覚えはない。女性に対するわたしの好みで、そういうものを要求する相手とはつきあったことがないという理由もあるが、それ以前に、わたしの財布がそれを許さないという理由の方が大きいだろう。そして、それを許さない財布の持ち主であるわたしに、そういう女性が惚れるはずがない。つまりそういうイブの過ごし方をしたことがないのは、わたしの意思ではない、ということになる。どちらにしても、そういったイブの過ごし方をしたことは、これまでに一度もないし、たぶん今後もないだろう。  
 もっとも、敬虔なクリスチャンの方にしてみれば、そんなイブの過ごし方は邪道このうえないものだろうと思う。もちろんわたしは、敬虔なクリスチャンではない。だから、そんなイブの過ごし方をしても、個人的にはかまわないと思っているのだが、悲しいことに財布がそれを許してくれない。  
 まあ、本来のクリスマスはそんなんじゃない、という意見はあるのだろうが、そういうことで目くじらを立ててはいけない。基本的に、この世のあらゆるものは少しずつ移り変わってゆくものなのである。クリスマスを本来の形に戻せ、とか言われてしまうと、じゃぁ漢字も本来の形に戻して、象形文字を使うか? と言いたくなってしまうのは、わたしが屁理屈野郎だからかもしれないが。  
 そういえば、クリスマスそのものではなく、クリスマスの時期が近づいてくると思い出す、ということならひとつあった。わたしにとってクリスマスの前の一週間ほど、というのは、「看護婦さん」というイメージがある。いや、医者でも良いのだが、個人的には看護婦さん希望(笑)そう、わたしは過去に二回ほど、この時期に入院しているのである。今年はまだどこも切られていない。  



2001.03.04

 何人かの方にご指摘いただいたのだが、クリスマスはキリストの誕生日ではないらしい。単に、キリストがこの世に生まれたことを祝う日なのだそうだ。そもそも、冬至かなにかのお祝いだったらしい、詳しいことは知らないが。もし冬至の祝いなのだとしたら、キリスト教も何も関係ない。誰が祝っても良いわけで、これは日本人としてはありがたいことであろう。  
 だいたい、キリストの場合、誕生日はおろか、生まれた年もさだかではないようで。今の西暦も、一般的にはキリストが生まれた年を基点としていることになっているようだが、実際にキリストが生まれたのは、それよりも数年前だった可能性があるのだそうな。  
 まあ、会ったこともなければ、これから会う可能性もない人の正しい生年月日なんぞ、わたしは知らなくても別に困らない。しかも相手は男だし(笑)まさか、性別も定かではない、なんていわないよね。  



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