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[ エッセイのようなモノ ]
21世紀をかんがえる

2001.01.06

 いや、今回はちゃんとやるってばさ。  
 とはいっても、21世紀を考えるなんてことは、たぶんあっちこっちですでにやってるだろうから、今さらここでやる意味があるかどうか。いや、ここで「意味」なんてこと考えてちゃいけないな。それを考えたら、このサイトの存在さえ意味ないんだから。  
 さて、早いもので、21世紀も残すところ、わずかに99年と360日ぐらいとなった。ふりかえって見ると……ふりかえってどうするっての。先を見なきゃだね。  
 ってことで、21世紀を考えちゃうわけだが。21世紀といえばやっぱり、科学技術の発達でしょう。19世紀も20世紀もすごかったようだが、そこはそれ、21世紀のすごさにはかなわないはず。たしかに、20世紀のラストスパートはすごかった。コンピュータとかいうやつの出現で、色々なことが変わったようだ。そうなると、21世紀も色々と変わるのだろうが、そのベースにコンピュータが有り続けるかどうかは、わたしにはわからない。ひょっとすると、もっとすごいものが出てくるかもしれない。  
 まあ、考えてみれば、今の科学技術というやつは、色々な物理的制限の上に成り立っているから、21世紀にその物理的制限がなくなってしまったら、そりゃまた凄いことになるだろうとは思うのだが、その「物理的制限がなくなった」状態というのが、どんな状態になるのか、わたしなんぞには想像もつかない。おそらくその手の情報は、地球外からもたらされることだろう。そうでないと、たぶん飛躍的な進歩は望めない。いや、もちろん、いつかは変わるのだろうが、21世紀中に変わるのは難しいだろう。なんせあと99年しかないのだから。  
 しかしまあ21世紀には、人類は他の惑星で生活を始めちゃうわ、ロボットが活躍しちゃうわ、宇宙人と交流はしちゃうわ、タイムマシンはできちゃうわで、技術の進歩も大忙しに違いない。問題は、どれぐらい実現するかだが。仮に実現しなくても、わたしは困らない。今の生活でも別に不便を感じているわけでもないし。考えたことがそのまま文書になる機械なんぞが出てきたら、それはうれしいかもしれないが。それも先は長そうな気がする。喋ったことを文書にする装置だって、今のところまだ、あんまりできがいいとは言えないようだから。  
 個人的には、科学的な方法を使ってでも、超能力が可能になったらいいなぁ、という期待がある。これもまあ難しいのだろうが。何が難しいって、テレパシーなんぞがあたりまえになっちゃうと、電話会社だの携帯電話会社だのが商売あがったりになるだろうし、テレポーテーションなんぞができるようになりかけたら、電車バス飛行機なんぞの交通関連企業が待ったをかけるだろうし。まあ、誰でも簡単にスプーンを曲げられるようになれば、スプーンメーカーは需要が増えて喜ぶかもしれないが。  
 つまり、技術の進歩ってのは、結局企業的な儲けにつながっていることが多いのである。企業が儲からない技術は進歩しない、と。  
 もちろん、企業だけでなく、政治的に得にならないことも、進歩しない。自分の国が得しない研究は、国だってやらない。国としては得かもしれない研究でも、大きな企業が損をするような開発はされない。結局は、強者が得することでしか、進歩というのはないのだろう。  
 そうなるとやはり、国(あるいは政治)が変わらなければならないのだろうが、政治や経済に関する展望は、ここではしない。わたしにはできない。SF小説やらSF映画やらでは、21世紀には地球連邦みたいなものができていたりする場合もある。地球上のすべての国がひとつになって、現在「国」と呼ばれているものが州扱いになっていたりする。これはたぶん、不可能だろう。地球がひとつの国家になる前に、現在の各国家がひとつにならなきゃいけないんだから。よほどのことがない限り、21世紀中にそれが実現するとは思えない。30世紀ぐらいになったら、それもありえるかもしれないが、そんな先のことは考えてもしょうがない。  
 いかんな。今回はちょっとまじめに考えすぎているような気がする。ギャグが少ない。  
 まあ、21世紀になったからって、いきなり何かが変わるわけじゃなし。強いていえば、去年までは色々な問題を「世紀末だから」で済ましていたのが、今年からはそれができなくなる、ということか。  
 明らかに変わらないのは、わたしの性格とこのサイトの内容だと思うのだが、そんなことはいまさら言うまでもないことだし。  
 あ、21世紀の技術の進歩に、ひとつだけ期待していることがある。あの傘というやつが飛躍的な進歩を遂げることを、わたしは願ってやまない。  



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