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[ エッセイのようなモノ ]
大人じゃん!

2001.01.13

 成人の日とかいうものがあったらしい。いや、あったらしいといっても、「新しい」わけじゃないんで、念のため。って、わかってるか。まあ、これまでは、たしか毎年1月15日が成人の日だったのが、今年からハッピーマンデーとかいうやつになって、今年は1月の8日が成人式だったのだから、新しいといえば新しいのだが。  
 で、よくよく考えてみたら、わたし自身が成人を迎えたのは、今年成人式を迎えたみなさんが、ちょうど生まれた年だったことになるような気がする。気はするのだが、なにせ大昔のこと。記憶力のないわたしが覚えているはずがない。計算すればよさそうなものだが、両手の指の数を超える計算は、わたしにはできない。  
 当日のニュースか何かで見たのだが、どこだかの県だか市だかの成人式で、集まった成人たちのあまりのひどさに、来賓だか県知事だか市長だかが、怒って式を取りやめたんだか祝辞を述べずに壇を降りたんだか。そういうことがあったらしい。いや、あったらしいといっても、「新しい」わけじゃ……やめよう。  
 それも、一ケ所だけでなく、わたしが知っている限りで、二ケ所であったようだ。わたしがニュースを見たのは、当日の午前中だったから、もしかしたらその後、件数は十にも二十にもなっているかもしれない。興味のある方は調べてみるといい。わたしは、これ以上の興味はないので、調べるつもりはまったくないが。  
 で、その新成人たちのひどさ、というのがどういうものだったのかも、詳しいことはよく覚えていない。なんでも、壇上にその来賓だか知事だか市長だかが上っても、おしゃべりをやめなかったとか、そんな内容だったと記憶している。その結果、その来賓だか知事だか市長だかは、怒って「君たちを大人とは認めたくない」というようなことをいったとか、祝辞を書いたメモを投げ捨てたんだかして、壇から降りたのだという。しかし、その程度のことで大事な式を投げちゃうような来賓だか知事だか市長だかも、大人げないといえば、大人げないような気がしないでもない。我慢弱さという意味では、五十歩百歩だと思うのだが、いかがなもんだろう。  
 残念なことに、来賓だか知事だか市長だかが「認めたくない」といったところで、日本の法律上、二十歳を過ぎたら大人として扱われてしまうのである。たとえそれがどんな奴でも。そう、どんなに立派な人物でも、年齢が二十歳を超えないかぎり子供扱いされるわけだし、どんなにだらしない輩でも、二十歳を超えてしまえば大人なのである。  
 実は以前から、成人かどうかを区別するのに、年齢を基準にしないで、試験制にしたらどうか、と思っていたのだが、正月にテレビでそういうドラマをやっていた。そのドラマはまあ、途中でオチはわかってしまうが、そこそこおもしろかった。個人的な好みからいけば、木村拓哉が主演した話しの方が、シュールな上にばかばかしくて好きだったが。  
 ある人物を大人とみなして良いかどうかの判断を下すのは、実は非常に難しい。なにしろ、判断を下す側が判断を下すに足るだけの大人かどうかを、誰かが事前に判断しておかなければならないのだから。もちろん、その判断を下す人物に対する判断も、誰かが下さなければならないわけで。そのままずっとさかのぼって行くと、結局最初の判断はうやむやのままになされることになる。まあ、多数決だのなんだのという方法を、取ることはできるのだろうが。そんなやり方がおもしろいとは思えない。  
 実をいうと、大人か子供かを判定する、簡単な方法がないでもない。この方法を使えば、まあ80%ぐらいは、正しく判断できることになっている。やり方はいたって簡単。  
 判定したい対象が、何か立派なおこないをしたとしよう。別に人命救助をしたとか、犯罪者を捕まえたとか、それほど立派なことである必要はない。むしろ、かなりあたりまえのことで、でも意外とないがしろにされているような、ごみをきちんとごみ箱に捨てるとか、使ったものをちゃんと片付けるとか、そういったことの方が良いかもしれない。そういう場合に、その人物を誉めてあげればよいのだ。「大人じゃん」と。それに対する反応を見れば、相手が大人か子供かはすぐにわかる。「大人じゃん」と誉められて喜ぶのは、はっきりいってまだ子供。ホントに大人だったら、そんなことで「大人じゃん」などといわれたら、腹を立てるはずである。  
 この方法の場合、大人がふざけて喜ぶ場合もありうるが、子供のくせに怒り出す奴はまずいないから、大人であるかどうかの判定というよりも、子供かどうかの判定といった方がよいかもしれないが、かなり正確な判定を下せるはずである。ぜひお試しあれ。  



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