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[ エッセイのようなモノ ]
名前の由来

2001.03.31

 世の中には、あまり深く考えてはいけない問題というものもある。たとえば、人は生まれてくる前にはどこにいたのかとか、逆に死んだらどこに行くのかとか、宇宙の果てのそのまた先はどうなっているのかとか。  
 もちろん、それを真剣に研究している人たちはいる。そういう人たちが、この手の問題を深く考えるのは、間違ったことではない。むしろ真剣に考えていただきたい。そうでなければ困る。だが、そうではない、一般のわれわれのような人間が、この手の問題をあまり深く考えてはいけない。まあ、いけないってほどのことではないが、あまり考えない方が無難といえば無難だろう。なにしろ、これらの問題は、一般人がいくら考えたところで、答えが得られる問題ではないからだ。かりに正解にたどり着いたとしても、おそらくはそれを証明する方法がない。考えるだけなら個人の自由だが、夜寝られなくなったりする可能性もあるから、あまりお勧めできることではないだろう。  
 その手の、あまり突き詰めて考えない方が良い問題として、「ものの名前の由来」というのがある。つまり、「手」はなぜ「手」というのかとか、「赤」という色はなぜ「あか」と呼ばれるのか、といったような問題だ。  
 たとえば、「茶色」という色がある。これがわたしには長年の謎なのである。ほとんどの方がご存知だと思うが、この「茶色」という色は、おおむね木の色に近かったりする。小学生のころに写生をするとして、そこに木を描くとしたら、ほぼ間違いなく「茶色」を使う。だが、なぜこの色の名前が「茶」色になるのか、わたしにはわからない。まあ、今の日本で「茶」というと一般に緑茶になるが、昔は緑色のお茶よりも、茶色のお茶の方がポピュラーだった、というような理由なのかもしれないが。わたしの好みとしては「茶色」は「茶色」と呼ぶよりも「木色」と呼びたくなってしまうのである。もちろん、実際にそう呼んだりはしないが。  
 この問題だって、突き詰めて考えていくと、なぜお茶をお茶と呼ぶのか、という問題にたどり着く。たどり着かなくてはいけない。たどり着いた結果、素人には答えが出せなくなる。だから、あまり深く考えてはいけないのだ。  
 まあ、同じ「名前の由来」でも、誰でもが一度は調査したことのある「名前の由来」というものもある。自分の名前の由来である。これは比較的結論を得やすい。小学校の頃に、宿題に出された経験を持っている方も、少なくないだろう。そういう場合、通常は両親に確認する。  
 「僕の名前は、なんで一郎なの?」  
 「長男だからだよ」  
 などという、身も蓋もない会話がなされる場合もあるかもしれない。どこかの偉い坊さんにつけてもらった、などという場合もあるだろうし、姓名判断の結果による場合もあるだろう。中には、なんとなくつけた親もいて、子供にその理由を聞かれてから、慌ててもっともらしい理由を考える場合なんぞもあるかもしれない。  
 両親や祖父母から一字もらった、などというのは、比較的ポピュラーなパターンだろう。わたしの場合、わたしが生まれた当時、「なんとか大作」という頭の良い学者だかなんだかがいたらしい。で、うちの父は自分の息子にも頭が良くなってもらいたかったのだそうだ。その人から一字もらって「大介」とつけた。しかし残念ながら、頭が良くなる御利益は、「作」の字の方にあったようである。  
 そういえば、わたしは著者近影の中で、自分の名前を「マックライド」と「瀬楠大介」の二つ紹介して「どちらが本名かは不明。どちらも本名でない可能性もある」と書いている。さすがに、マックライドを本名だと思っている人はいないようだが。その一方でこの「エッセイのようなモノ」の中でも、何度か「瀬楠」という苗字を当たり前のように使っている。今回も、当たり前のように「大介」という名前を使った。その結果、わたしの本名を「瀬楠大介」だと思っている人がいるらしい。念のために書き添えておくが、わたしの本名は、瀬楠大介ではない。  
 それはそれとして、今度さくら銀行と住友銀行が合併して、三井住友銀行だか、住友三井銀行だかになるとかなったとか。それはそれでよいのだが、たしかさくら銀行の前身は、太陽神戸三井銀行ではなかったか? それが住友と合併して、使う名前が三井だけでは、太陽神戸がかわいそうな気がするのは、わたしだけだろうか。太陽神戸も、もとは太陽銀行と神戸銀行だったわけで、そうなると四つの銀行がひとつになったことになる。どうせなら、太陽の「た」神戸の「こ」住友の「す」三井の「み」と繋げて、「タコスミ銀行」にしてはいかがだろう。キャッチフレーズは、「あなたの預金、黒字にします」  



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