|
2001.06.27
日本語は難しい。特に慣用句の使い方は難しい。言いまわしにしろ意味にしろ、間違えて覚えていることは、かなりあるだろう。
有名なところでは「情けは人のためならず」というのがある。これは有名なので、まさか知らない人はいないと思うが、念のために説明しておこう。これは「情けをかけるのはその相手のためにならないから、やめた方が良い」という意味ではない。「情けをかけるのは、相手のためばかりでなく、いつかは自分のためになるのだ」という意味なのである。つまり「他人に情けはかけておきましょう」ということ。まさか、知らなかった人はいませんよね。このレベルは、あっちこっちでよく話題に上るので、正しい意味を知っているからといって、自慢することはできない。
ちょっとした間違いでありがちなのは「的を得る」という言い方だろうか。これは意味や用法の間違いではなく、言葉自体の誤りなのだが、大間違いなので気をつけるように。正しくは「的を射る」。どこがどう違うかはわかりますよね。弓で射た矢が標的にあたるところから来た言葉なのだから「的を射る」なのであって、「的を得る」って、標的を手にいれて、だからなんだってんだ、という話しになってしまう。もっとも「射た」結果、それが当たったのかどうかが、この慣用句からでは推し量ることができないような気がするし、そもそも「射る」のは矢であって的ではない、という話しもある。そうなってくると、この慣用句自体おかしいような気もしてくるかも知れないが、実際には、「射る」という言葉には「射抜く」つまり「当たる」という意味もあるので、これはこれで正しい。
ちなみに「得る」としたい場合には「当を得る」という使い方になる。双方微妙に意味が違うらしいのだが、どこがどう違うのか、わたしは知らない。
他にも、以外と知られていない誤用で「踏んだり蹴ったり」というのがある。この言葉自体に誤りはない。ただし用法が、通常まかり通っているものとは違うのである。通常この慣用句を使う場合には、「旅行に行ったら金は盗まれるし大雨は降るし、踏んだり蹴ったりだ」といった感じで使うことが多い。これが大きな間違い。よく考えてほしい。金を盗まれて困ったのは自分なのである。その場合、例えるとすれば「踏む」ではなく「踏まれる」だろう。大雨が降って災難だったとしたら「蹴る」ではなく「蹴られる」だろう。ひどい目にあったのは自分なのだから「踏まれたり蹴られたり」といわなくてはおかしい。しかしこの「踏んだり蹴ったり」という言い方に誤りはないのだから、一般的に受動的に使われているこの言葉、実際には能動的に使うのが正しいのである。つまり、ひどい目にあわせた方が「踏んだり蹴ったりしてやった」と使うべきなのである。
その他には、年老いた夫婦が「夫婦で二人三脚でやって来ました」というような使い方をする場合がある。あるいは結婚式の披露宴あたりで「今日からは二人三脚で人生を歩んで……」なんてぇスピーチをする人もいるかもしれない。どちらの場合も「二人で力をあわせることで、困難を乗り越える」というような意味に使われている。これが大きな間違い。思い出してほしい。運動会のときの二人三脚を。ご存知のように、二人三脚というのは、二人一組になり、右側の人の左足と、左側の人の右足とを、足首のあたりで縛りつけて走らせるという、多少SMチックな競技である。並んだ二人の内側の足を縛り付けてしまうと、これは無茶苦茶走りにくい。二人の呼吸がピッタリと合っていなければうまく走ることはできない。そういう理由から、人生のパートナーとのことを話題にするときに、呼吸をあわせて仲良く、という例えのつもりで「二人三脚」という言葉を使っているのだろうが、そのあたりが大間違い。どう考えたって、ひとりで走った方が楽に早く走れるのである。したがって「夫婦で二人三脚でやってきましたから」といった場合、「だからここまでしかできなかったんだ。一人だったらもっとうまくいったのに」という意味で使うのが正しい。これと同じような慣用句で、「夫婦二人羽織で」というもある。これは想像していただければすぐわかると思うが、はっきりいって、かなり呼吸があっていても、うまくこなすのは不可能に近い。ということで、この慣用句は「しない方がまし」という意味に使う。あるいは「なりふりかまわずやる」という意味に。
なお、今回出てきた慣用句の正しい意味の中には、例によって大嘘が混じっている可能性があるので念のため。ひょっとすると全部大嘘かもしれないし、全部本当かもしれない。中には「そんな慣用句ねぇよ!」ってのもあるかもしれない。どれが正しくてどれが大嘘なのかは、ご自分で調べていただきたい。それが正しい日本語のお勉強ってもんです。
|