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2001.08.22
かつて京都に行ったときに、おもしろい経験をした。たいして幅のない車道に横断歩道があった。歩行者用の信号は赤だったのだが、わたしはいつもの調子でひょこひょこと渡ってしまった。渡ってしまってから気がついた。他に大勢信号待ちをしている人がいたにもかかわらず、平気で渡ったのはわたし一人だったのだ。それも、その信号だけではない。すべての路地という路地、たいした道幅でもない横断歩道で、みんなきちんと信号待ちしている。ご存知のように、京都というところは道がかなりまっすぐに伸びている。ちょいと見れば車が来ていないことはすぐにわかる。そのときだって、見える範囲でこちらに向かってきている車はなかった。にもかかわらず、信号無視する歩行者がいないのである。これはわたしにとっては驚異だった。京都恐るべし! いやもちろん、それが正しいのである。信号無視しているわたしが間違っているのである。
よその国ではどうだか知らないが、日本では信号機の赤は止まれ、青は進めということになっている。これはたぶん幼稚園児でも知っていることだろう。中にはこのルールを知っている犬もいるとかいないとか。盲導犬なんぞは、ちゃんと赤では止まって、青になってから歩き出す。ここでちょいと知識のある人ならば、犬は色盲で世の中を白黒でしか認識できないはずだから、赤と青の区別はつかないはずだ、と突っ込みを入れたくなるところだろう。盲導犬は信号の色を見ているわけではなく、まわりの状況を見て判断しているのだ、と。しかしもう少し知識のある人ならば、最近の研究ではどうやら犬も、少なくとも赤と青は区別できているらしい、という結果が出ているようだ、ということを知っているだろう。だから何ってことはないんですけどね。単に自分の知識をひけらかしているだけなんですが(笑)
もっとも、信号機の青は、青というよりも、緑にしか見えないのだが、それについてとやかく言う人は、あまりいないようだ。何で緑色なのに青と呼ぶのか、なんで青のはずなのに緑色を使っているのか、ご存知の方がいらっしゃったら、是非ご一報いただきたい。
わたしが自動車の運転免許証を取得しようと、教習所に通っていたのは、今から二十年以上前のことだが、そのときの記憶によれば、信号の青は「進め」ではなく「進んでも良い」という意味だった。考えて見ればたしかにそうだ。「進め」だった場合には、何がなんでも進まなければならなくなる。まだ危険な状態なのに、青になったから進まなくてはならない、というのはおかしな話しだから、青は「進んでも良い」もしくは「進むことができる」が正しいのだろう。
かつてビートたけしが「赤信号みんなでわたれば怖くない」というギャグを言っていたが、たぶんそのころ、わたしの友人は「青は当然、黄色はまだまだ、赤になったら注意して」という標語を作って笑っていた。もちろん、通常はそんなことはしないが、深夜で交通量も少なく、見通しのきく場所で、何回かやっていたような記憶がある。もちろん違法行為だ。同じような違法行為を、真昼間からやっている人を見たこともある。改造したオートバイにノーヘルメットまたはドカヘルでまたがり、エンジンの音もやかましく走り抜ける、一般には暴走族と呼ばれる方々だ。赤信号を無視して走って行くのを、何度も見た。ところが、彼らも一応命は惜しいと見える。停止すらしないものの、交差点に入るあたりではかなり徐行して、車が来ないことを確認してから突っ切るという、まあ、あまり格好良い突き抜け方ではなかったのだが。
まあ、なんにしたって、交通ルールは守らなければいけない。いけないのはわかっているのだが、わかっていながら守らないこともある。道幅がせいぜい4,5メートルぐらいの車道を横切る横断歩道の場合、見通しが良くて車が来ていないことがわかれば、歩行者用の信号機が赤でも渡ってしまう大人は多い。わたしも時々やる。反省しなければならない。反省は反省としてよそでやるとして(笑)、ここで個人の性格というが多少わかることがあるのがおもしろい。
たとえば誰かが、赤信号なのに横断歩道を渡ったとしよう。それを見て、それなら自分も、といった感じで渡り始める人がいるのである。自分の意志がないというか、判断が遅いというか、他人に引きずられやすいというか。そういう人は、危険な状態におちいることが多い。最初の人が渡ったときには、車はまだ遠くにいたから大丈夫だったかもしれないが、つられた人が渡り始める時には、車はもうすぐそこに来ていたりするのである。で、クラクションを思い切り鳴らされちゃったりして、渡りかけた人は驚いているわけだ。確固とした自分の意志を持って生きましょう、という良い見本かもしれない。
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