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[ エッセイのようなモノ ]
スポンサーに一言

2002.03.22

 ご存知の方も多いと思うが、一部をのぞいて、テレビ局というものは、スポンサーによる資金の提供で運営されている。これはつまり、政治家でいえば賄賂をもらって動いているようなものなのである。って、かなり違うと思うが。これはつまりテレビ局にとってはスポンサーがお客様なのである。お客様の意向に沿って番組を作るのは、当然といえば当然だろう。その話しは以前にもしたような気がする。  
 たとえばドラマのスポンサーに自動車のメーカーがついていたとすると、主人公が乗るのは、そのメーカーの新車だったりするわけだ。もちろん、ドラマの中でその車が事故を起こすことはない。現実はどうあれ、ドラマの中では、スポンサー様の車が事故など起こすはずがないのである。事故を起こすのは、常にライバル会社の製品だ。  
 殺人事件を扱ったドラマの場合、スポンサーに気を使って、かなり制限が出てくるという。自動車のメーカーがスポンサーだったら、車でひき殺すなんてことはできない。製薬会社がスポンサーについていた場合、毒殺も控えるらしい。スポーツ用品メーカーがスポンサーの場合は、金属バットで殴り殺すというのもご法度になるだろう。階段から突き落として殺そうと思ったら、ハウジング系の会社がスポンサーについていて、家の中でそういう殺し方をするな、と怒られちゃったりする。  
 こうやって、テレビドラマというのは、どんどん面白くなくなって行くわけだ。  
 制限を減らすためには、スポンサーの数を減らせば良いのだろうが、そうすると今度は資金が少なくなる、という制限が増えてくる。どちらにしても、制作する側にとっては辛い話しだ。  
 まあ、実際にはどれほどスポンサーが口出ししているのかは、わたしもよく知らない。中には懐の広い会社もあるだろうから、資金提供をしているからと、すべての会社が番組の内容に口出しするわけでもないのだろう。  
 で、おわかりのことと思うが、ひとつの番組で同じジャンルの会社が同時にスポンサーになることは、基本的にはないのである。ひとつの番組で、トヨタと日産が同時にスポンサーをやることはまずない。それがどういう理由からなのか、わたしは知らない。一視聴者には理解できないような、むずかしい理由があるのだろう。  
 最近は二時間ドラマなんぞでは、前半と後半でスポンサーが入れ替わるのだが、その場合に、たとえば前半はトヨタがスポンサーについていて、後半は日産がスポンサーだったとき、それにあわせて主人公が乗る車が変わっているのかどうかは、わたしは知らない。別に知りたいとも思わない。  
 ほとんどの業界で、異なる会社が同時にひとつの番組のスポンサーをやらないようなのだが、テレビを見ていると、そんなことは気にしていない業界もあるようだ。それは消費者金融業界。ひとつの番組のスポンサーに、プ○ミスだの武○士だのと、異なる会社が同時に名前を連ねているのをよく見かける。まあ、扱っている商品が他の業界と違うから、A社で借りた人はB社では借りない、ということがないからなのだろう。自動車なんぞの場合、よほどの金持ちでないかぎり、そう何台も買ってはくれないだろうから。  
 それはさておき、最近テレビを見ていて気になるのが、映画のCM。試写会の後なのか、公開された後なのか知らないが、今映画を観て来たばかり、という感じの人の感想を羅列する、あの手の宣伝のなんと多いことか。あの手のCMに出てくる観客が、本当の観客なのかエキストラなのかそれはどちらでも良い。どっちにしても、わたしはあの手のCMを流されると、途端にその映画を見る気が失せてしまうのだ。  
 「すごく感動しました」  
 「ラストで涙が止まりませんでした」  
 「興奮で、まだ心臓がドキドキいってます」  
 この手の感想の、何をよりどころにしてその作品を判断しろというのだろう。知り合いだの有名人だので、その人の映画に対する嗜好や判断能力がわかっているのなら、それを参考にすることもできる。だが、どこの誰ともわからない人物の、本心かどうかもわからない感想を聞かされたって、そんなもの何の役にも立たないばかりか、見ていてしらけるばかりだ。配給会社は、あの宣伝でみんなが見に行きたくなると、本気で思っているのだろうか?  
 と思っていたら、最近は有名人に感想を言わせるバージョンまで現れた。嘆かわしいことである。  
 せっかく観に行こうと思っていたのに、この手のCMをやられちまったばっかりに、観に行かなかった映画もかなりある。  
 いいかげん、あの手のCMを流すのはやめてもらないだろうか。  



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