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[ エッセイのようなモノ ]
電車は止まるよいつまでも(中編)
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2002.05.29

 満を持して流れ出した車内アナウンスは、衝撃的なものだった。  
 「ただ今、この列車で人身事故がありました。現在状況を確認中ですので、しばらくそのままでお待ちください。なお、列車がホームに完全に入っていませんので、扉を開けることはできません」  
 そう、この列車で、よりにもよって人身事故なのである。車両故障でもなく、信号故障でもない。機械の不調ではなく、人が巻き込まれた事故なのだ。それがこの列車で起きてしまったのだ。  
 車内のざわめきがいっそう大きくなった。それと同時に、わたしの頭にひらめいたことがある。  
 人身事故ということなので、少なくとも怪我をした人がいるのは確かだし、場合によっては亡くなったかもしれない。その人には大変失礼だと思いつつも、わたしの頭の中では、  
 「ネタだ! ネタにするんだ!」  
 という声が響いていたのだ。  
 なにしろ、慢性的なネタ不足である。こんなチャンスを逃したら、次にネタにありつけるのは、いつのことになるかわからない。  
 だからこのときは、ネタにするために、この電車に最後まで付き合おうと心に決めた。どこでどう使うかはわからない。ひょっとしたら使わないかもしれない。でもここはしっかり最後まで見て行こう、と。  
 で、まずは車内の人間観察。なにしろ社内に閉じ込められているのである。とりあえず人間観察ぐらいしか、他にすることがない。  
 一番多いのが、連れとなにやら話し始める人や、おもむろに携帯電話を取り出して、電話をかけたりメールを打ち始める人だろうか。  
 電話やメールの場合には、どうやら電車の事故で遅れる旨を誰かに伝えているらしい。  
 メールや電話にしろ、連れと話しているにしろ、あからさまに不満を口にしている者もれば、不謹慎にも、面白がっているように見える者もいる。  
 不満の場合、その矛先は二つに分かれる。まず、事故の原因に対する不満。何で人身事故なんか起こすんだ、という不満である。そういう態度が人道的に良いとか悪いとかいうことを、ここで話題にするつもりはない。  
 誰かが怪我をしたのかもしれない。亡くなったのかもしれない。そういうことがわかっていて、なおかつ「ふざけんなよ、迷惑なんだよ」という感情がわいてくることがあるのは事実だろう。先を急いでいる人にとって、自分の移動の妨げになるものは、なんであれ単に迷惑なだけなのである。  
 もちろん、そういう場合の「邪魔もの」は、自分とはまったく縁のないものである必要がある。赤の他人だからこそ「ふざけんなよ」で済ませてしまうのだ。これがもし、事故にあったのが自分の知り合いだったりしたら、そうはいかないだろう。  
 面白がっている場合でもそれは一緒。いくらなんでも、事故にあったのが知り合いだと知っていて面白がる奴は……中にはいるかもしれないが。  
 不満の対象のもうひとつは、JRの対処。  
 わたしもそうだが、この駅で降りるという人は大勢いるはずだ。窓の外にはすでに駅のホームが存在するのである。あとはドアを開けてくれれば、すぐに降りられるのだ。何でさっさとドアを開けないんだ、という不満はかなり大きい。早く降ろせ! 俺は降りて、事故の現場を見たいんだ! 現場を見せろ!  
 いや、わたしがそう思ったかどうかは別にして。  
 そして、何度も繰り返される、ほとんど内容の変わらない車内アナウンスに対する不満。  
 なにしろ車内に閉じ込められている。つまり乗客の入れ替わりはないのである。中にはアナウンスを聞き逃した人もいるかもしれないから、何度か同じ内容を流すのは良いだろうが、いつまでも同じ内容だけを繰り返されると、やはり腹が立ってくる。  
 全然進展してねえじゃねぇか、ということだ。報告ってものの意味がわかってんのかよ、ということだ。  
 実際には列車が止まってから、それほど時間が経過しているわけではない。まだ、せいぜい十分というところだ。その間に、どれほど迅速な対応が取れるのかは知らないが、乗客に伝える内容がそれほど変わるとは思えない。だが、実際にはそれほどで長くもないのに、自分の意志に反して行動を抑制されると、かなり長い時間が経過しているように感じるものだ。  
 とにかく動きがない。  
 窓から前方を確認しようとしている者もいる。最近の車両の窓は開かないから、前方を見ようったって見えやしないのだが、なんとかして状況を自分の目で確認しようとしているらしい。一般的には無駄な努力という。  
(ありゃまたつづくだ)  



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