縦書きで読む
[ エッセイのようなモノ ]
電車は止まるよいつまでも(後編)
<前編を読む<中編を読む

2002.06.05

 窓の外を見ると、ホームにいる人々は、みな一様に、この列車の前方を見ているようだ。やはり前の方で何かあったのだろう。  
 それを見て、また窓だのドアだののガラスに顔をつけて、前方の様子を確認しようとする乗客がいる。やがて、事情さえわかればそれで良いということなのだろうか、のんびりと読書を再開する者も出てくる始末。わたしもそろそろ人間観察にも飽きてきた。本でも読もうか、と思い始めてしまったころ、  
 「ただいまより、ホームに入っている車両のドアを、手動で開けます。後方の車両の方は、前方の車両に移動して降りてください」  
 ってな放送が流れた。車内に安堵のためいきが溢れた。やっと降りられる。現場を見に行くことができるのだ。って違うっての。  
 ところが、開くといったはずのドアがなかなか開かない。いくら待っても開かない。  
 車内に再び不満の声が響き始めたころ。一人の駅員が近づいて来るのが目に入った。彼は、ドアのあたりでしゃがみこみ、その後おもむろにドアを手で開けると、ふたたび次のドアの近くでしゃがみこみ、という行為を繰り返しているのである。  
 おそらく、ドアの横あたりに手動で開けられるようにするコックかなにかがあるのだろう。それを引くか押すかしてから、ドアに手をかけて力をこめてドアを開ける。それを一両目の車両のドアから順に繰り返して来ているわけだ。そりゃ時間もかかるわな。しかしまあ、確かに手動だ。駅員さんも大変である。  
 やがてわたしの近くのドアが開き、他の乗客に混じってわたしもホームに降り立った。そのまま階段に向かう乗客がほとんどだったが、中にはわたしと同じように、人身事故が起きたという、列車の最前部に向かっている者もいた。  
 もちろん、そこは黒山の人だかりである。とはいっても、ホームの端から覗き込む以外に手はないから、人だかりといってもたかが知れているのだが。  
 わたしも珍しく野次馬根性を発揮して、ホームの端に立って線路および列車の前部をのぞきこんだ。  
 そこには……! 不謹慎にも期待していたような、血まみれの怪我人がいるでもなく、列車に血の痕がついているでもなく。いつも見慣れた普通の電車が、駅の中途半端な位置に止まっているだけだった。  
 なんだい、なんにもないじゃないか。  
 そう考えて、さっさとその場を離れて行く人がほとんどである。残っているのは、おそらくこれから電車に乗ろうと思っている人だろう。まあ、中にはわたしのように、単なる野次馬も混じっていたのかもしれないが。  
 とにかく、列車の一番前には、なんの痕跡もない。時おり駅員だの作業員だのがホームから降りて、電車の向こう側に消えていく。やがて、担架が運ばれて来た。それと一緒に、畳んだシーツのようなものもあったようだ。  
 どうやら、事故にあったひとは、列車の中ほどあたりにいるらしい。この位置からでは見えないのだ。  
 ふと上を見ると、線路をまたぐ通路があるではないか。そこには窓があり、思ったとおりの人だかり。ホームよりもそっちから見た方がよさそうだ、と判断して、わたしはその場を離れた。  
 先客たちの隙間に身体をねじ込んで、通路の窓にはりつくと、車両の脇にしゃがみこんで中をのぞき込んだり、車両の下にもぐりこんだりしている作業員の姿がよく見える。これはやはり列車の下に巻き込まれているのだろう。たぶん生きてはいないだろう……。  
 これ以降の描写は、今回は避ける。  
 思っていたようなスプラッタな光景を目にしたわけではない。だがやはり、読んだ人がそれを楽しめるとは思えないから。  
 本来ならば、そこで色々とメモを取るべきだったのかもしれない。しかしわたしには、メモを取るということよりも、その光景を目に焼き付けるということの方が重要な気がした。いまだにそのシーンははっきりと頭の中に残っている。いつか小説のワンシーンに使うことがあるかもしれない。って誰が小説書いてるんだ?(笑)  
 さて、その事件から一週間も過ぎていない日曜日の朝。デートの約束があった(!)わたしは、電車に乗って品川駅にたどり着いた。たどり着いたのはいいのだが、なんだか停止している位置が想定していた位置よりも手前のような気がする。しかも、いつまでたってもドアが開かない。おいおい。  
 やがて車内に車掌の声が響いた。  
 「ただいま、線路内に人が立ち入った模様です。現在、状況を確認中ですので、しばらくお待ちください。なお、列車がホームに完全に入っていませんので……」  
 いや、神様。いくらなんでも、そんなに立て続けに同じようなネタはいらないから。  



Copyright(c) 1997-2007 Macride
ご意見ご感想は メール 掲示板