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[ エッセイのようなモノ ]
凝りと痛みの甘い囁き

2002.06.19

 思い起こせば小学生から高校生ぐらいまで。わたしは頭痛に悩まされていた。原因はわからないが、しょっちゅう頭痛が起きていた。  
 なにしろ、頭が痛いだけで熱があるわけでもなく、目に見える症状が出るわけでもなかったので、まわりは冷たかった。  
 確か、中学のころだったと思う。頭痛がひどかったので薬をもらおうと保健室へ行ったのだが、保健の先生は「熱もないんだから大丈夫」といって、薬をくれなかった。人が頭痛で苦しんでいるのに、赤の他人が勝手に「大丈夫だ」などと決めつけるとはなにごとか! と、当時はこのとおりの表現ではなかったが、似たような内容のことを、中学生なりの語彙と表現方法であらわしたはずである。もちろん、当時から気が小さかったわたしが、それを口に出せるはずもなく、頭の中に精一杯の罵倒を思い浮かべながら、たぶん恨みがましい目で保健の先生を睨みつつ、すごすごと保健室から出てきただけだったのだろうと思うのだが。  
 それ以来、わたしは学校の保健室という所には行かなくなった。あそこは何の役にも立たない、というのが中学生当時のわたしが下した結論だったわけだ。  
 さて、他の人はどうなのか知らないが、わたしの頭痛には、予兆のようなものがある。パターンとしては、最初は首筋が少し痛くなり始めて、そこからだんだん痛みが上にあがっていく場合と、こめかみのあたりから痛くなりはじめて、内側に入っていく場合とがあったような気がする。  
 とはいっても、子供のころには、このパターンを把握していたわけではなかった。このパターンが理解できると、こめかみもしくは首筋に軽い痛みが出てきた時点で、こりゃほっとくと頭痛になるな、とわかるので、その対策を事前に講じることができるようになるわけだ。講じるったって、せいぜいそのあたりをマッサージするとか、頭痛薬を飲むとか、痛み出す前にさっさと寝る、といった程度のことなのだが。  
 この、頭痛とのつきあいが、いったいいつ始まっていつ終わったのか、さだかではない。そもそも終わってしまったものなのかどうかもわからない。今でもときどき頭痛の兆候があったりもするし、放っておくと頭痛に見舞われたりもするから、はっきりと終わったわけではなく、単に疎遠になっただけ、ということなのかもしれない。なんだか中途半端な遠距離恋愛のような気がしてくる。  
 疎遠になった頭痛に代わって、二十代から三十代のわたしのそばに、いつも優しく寄り添っていてくれたのが、ひどい肩こりだった。  
 左の肩から肩甲骨のあたりにかけて、常にひどい痛みがあって、それはもう肩こりなどという生やさしいしろものではなかった。  
 そもそもいつごろから肩こりに悩まされ始めたのか考えてみると、どうやら仕事をするようになってかららしい。なにしろ、ほぼ一日中コンピュータに向かって座っている仕事である。姿勢が悪いとすぐに肩がこってくるわけだ。  
 その後整形外科で、頚椎だか脊髄だかがずれている、と診断され、それなりの治療をほどこした結果、肩こりの激しい愛情表現も薄らいだ。もちろん、今でも肩がこるようなことをすれば肩はこる。その程度の愛情は、肩こりにもまだ残っているということか。  
 肩こりとの決別に関する、愛憎あふれる経緯は、どこかに書いたような気もするが、どこに書いたかは覚えていない。愛憎もあふれていなかったかもしれない。暇な肩……じゃなくて、暇な方は自力で探しだしていただきたい。もちろん、見つけたからといって、何かためになることが書いてあるわけではない。肩こりの治し方を知りたい、と思っている人は、時間の無駄なので無理に探そうとしないことをおすすめする。  
 で、頭痛がなくなり、肩こりにも悩まされなくなって、平和な日々を送っていたわたしだったのだが、近頃は腰の痛みに愛を囁かれるようになってきた。それはもちろん、年のせいとか、激しく使いすぎて痛んできたとか、使わなすぎて錆びてきたとかいうことではない、決してない。ないと思うが自信もない。  
 肩こりを治したときに、一度激しい腰痛に見舞われたことはあるのだが、これはなんとかいう、医学的にもある程度認識されている、身体が治ろうとしている時に出る副作用のようなものだったらしい。すぐにその症状はなくなった。  
 今は、比較的頻繁に、腰がいたくなる。それほど激しい痛みではないのだが、これはこれで結構つらい。  
 こうやって考えていくと、痛む部分が、年齢とともに、頭、肩、腰と下に降りてきているようだ。そのうち尻が痛くなり、足がいたくなり、最後にはきっと、地面が痛くなるに違いない。  



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