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2002.07.24
いつだったか、新聞を読んでいたら、喫煙者に対する非難の投書が載っていた。歩きながら吸っている人が手に持っていたタバコが、子供の顔にあたったとかあたりそうになった、というものだった。たしかに危ない。子供の顔は、丁度大人が手を下げたあたりにくる。しかも、そのぐらいの身長というか年齢の子供というのは、行動が予知しにくい。いきなり走り出したり、突然真横に移動したり、立ち止まったり、逆行したり、寝たり泣いたり怒ったり。って、後半はあまり関係ないが。
とにかく、歩きながらタバコを吸うというのは、あまり誉められたことではないだろう。タバコを吸うわたしだって、前を歩いている奴が吐き出した煙が顔にかかると腹が立つ。場合によっては、火の粉が飛んでくることもある。そういうときには、背後に忍び寄って、背中をけり倒してやりたくなるのだが、気の弱いわたしにそんなことができるはずもない。
世間的には、歩行禁煙の風潮が高まっている。都市によっては条例を制定したところもあるとかないとか。個人的には、悪いことではないと思う。タバコは灰皿のある場所で吸いましょう。マナーを守らないと、喫煙者の肩身がどんどん狭くなる。
ところが、そうなってくるとまた別に、おかしなことに気が付く。携帯用灰皿という奴の存在だ。灰皿のない場所ではタバコは吸ってはいけない、というルールに従うと、携帯用灰皿を持っている限り、どこにいてもタバコを吸って良いことになる。これはどう考えてもおかしい。携帯用灰皿が存在する限り、歩きながらタバコを吸う人間はいなくならないだろう。とはいっても、歩きながらタバコを吸う人間のほとんどは、携帯用灰皿に吸殻を入れたりしないのだが。
なんにしても、歩行禁煙を定着させたいのなら、まず携帯用灰皿の存在を否定しなければならない。
と、ここで素直に納得されても困るのだが。携帯用灰皿は、何も歩いているときにだけ使うわけではない。外でタバコを吸う場合、道端に立ち止まったり、しゃがみ込んだり、寝そべったりしてタバコを吸うときに使用すればよいのだ。
それにしたって、世の中の流れは「タバコは灰皿のある場所で」という方向に流れている。
灰皿のある場所で、というと、よくデパートの入り口だの地下鉄の入り口だのに、吸殻入れが置いてあるのを見かける。そこでタバコを吸っている人は大勢いる。そう、タバコはやはり、灰皿のある場所で吸うべきなのだ。そういう場所でタバコを吸っている人は、マナーを守る立派な喫煙者なのである。
と思ったら大間違い。実はあれ、タバコを吸うならここで吸え、という意味ではないのだそうだ。もしここまでタバコを吸いながら歩いて来たのなら、ここから先は禁煙だから、ここでタバコを消して行け、というような意味で置いてあるのだという。
わたしもつい最近これを知って、ショックを受けている。吸殻入れが置いてあるのに、そこはタバコを吸っても良い場所ではないというのだ。こうなると、「タバコは吸殻入れのある場所で吸いましょう」という考え方自体、意味のないものということになる。灰皿のある場所はタバコを吸っても良い場所、と考えて良いほど、世の中は甘くないらしい。
タバコを吸う人間としては、どこでタバコを吸っていいのやら、非常に悩むことになる。タバコなんざやめちまえ、という意見は、ここでは棚上げする。現実問題としてタバコを吸う人間がいる以上、そしてそのマナーが問題になっている以上、その問題をきちんと考えるべきだろう。今ここで「きちんと」考えるかどうかは別にして。
さて、灰皿が置いてあるからといってそこが喫煙所だとは限らない、という事実が発覚したが、駅のホームなんぞでは、はっきりと「喫煙所」と書いてある場所があって、タバコを吸うならここで吸え、と教えてくれている。だからそこで吸えば良い。
不思議なのは、タバコを吸ってはいけないはずの場所に、タバコの自動販売機が設置してあることだ。売店でタバコを売っているのは、しかたがないと思う。だが、禁煙のはずの場所にタバコの自動販売機が設置してあるのは、どうにも解せない。そこでタバコを売るのなら、そこを喫煙所にするべきだろうし。吸ってはいけない場所ならば、そこでタバコを売るべきではないだろう。
ほとんど利用したことがないのではっきりしたことはわからないのだが、飛行機なんぞでも、禁煙のはずなのにタバコを売りに来たりするらしい。禁煙席だと思っていたらタバコを売りに来る。タバコをすすめられたのだから、そこで吸いたくなるのが人情ってものじゃないかと思うのだが、いかがなもんだろう?
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