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[ エッセイのようなモノ ]
月のころは更なり

2006.03.05

 好きな色は何色か、と聞かれたら、ほとんどの場合、青と答えるようにしている。水色と答えることもあるし、空色ということもあるし、ブルーという場合もあるが、平たく言えば青だ。青のどんなところが好きですか、と聞かれた場合の答えとして、やっぱり澄み切った空の青さがいいですねぇ、というものを用意しているのだが、いまのところ誰もそんな質問をしてくれない。まあ、そういう意味では、好きな色は澄み切った空の色、と答えるのが正しいのかもしれない。  
 空の色は青と書いたが、実際には青と限ったものでもない。そりゃ曇っていれば白だったりグレーだったりするし、都会だと下手したら天気がよくても青くなかったりする。  
 以前、知り合いの子供が、たぶん幼稚園か小学生ぐらいの頃だったと思うが、風景画を描いた。絵の具で描いたのかクレヨンで描いたのかは覚えていないが、そのときの空の色は、グレーだった。  
 天気が悪かったわけではない。晴天だったにもかかわらず、その子の目には空の色がグレーに見えたのだろう。もちろん、その子供が色盲だったわけではない。単に、都会の空の色がきれいではなかった、というだけの話だ。子供の目は正直だと思うが、悲しいことではある。  
 子供の目で思い出したが、うちの妹が幼いころ、動物園で象の絵を描いた。妹の描いた象は、足がとっても細かった。それを見たうちの母親だか先生だかが、「像さんの足はこんなに細くないでしょ」といったのだそうだ。大人はみんなそう思っている。わたしも妹からその話を聞かされるまで、象の足が細いなんて考えたこともなかった。だが、良く見ると、象の足は、あの体からするとかなり細い。意外にも先細りで腿だってそれほど異様に太くはない。カモシカの太ももの方が、よっぽどぶっとい。  
 それはそれとして空の色が青とは限らない、という話。  
 天気の良い夕方には、夕日で真っ赤に染まる。オレンジ色と呼ぶ人もいるかもしれない。もう少し時間がたつと、空は黒になる。その赤と黒の間に、紫色になることがある。いや、紫色の部分がある、といった方が良いかもしれない。  
 見晴らしの良い場所で、夕方西に日が傾いて、空が真っ赤になっているときに、そのまま後ろを振り返ると、東の空が、すでに真っ黒に近くなっていることがある。そのとき、真上を見上げていただきたい。東から西にかけて、黒から赤に変わっていくみごとなグラデーションの途中に、なんともいえない紫色が見えることがあるのだ。  
 なぜそんな色になるのか、わたしは知らないが、不思議なことに、その色を見たときに、美しいと思うこともあり、不気味だと思うこともある。なぜそんな風に思うのかも、わたしにはわからない。そんなことを思うのは、わたしだけなのかもしれない。  
 まあ、昔の言い方で、夕方のことを逢魔ヶ時ということもあるようで、夕方を少々不気味だと感じる人も、少なからずいた、という証拠かもしれない。  
 天気の良い夕方、かなり暗くなってしまった空を見上げていると、何かが飛んでいることがある。鳥ではない。なんだか、不安定な飛び方で、でかいチョウチョのように見えることもあるが、コウモリである。コウモリは都会にもいる。昭和三十年代の話ではない。平成十八年の、今の話だ。  
 昼間はビルの屋上の看板の裏側なんぞにぶら下がっていたりするのだそうだ。詳しいことは知らないが、コウモリは雑食性なのだろうか。だとすれば、都会は住みやすいだろう。エアコンの室外機のそばならば、冬でも暖かいし。個人的には、見た目から、コウモリのことを空飛ぶネズミだと思っているので、都会に棲みついていても、不思議はない、と思っている。願わくば、南米あたりから輸入されて、ペットとして飼われていたものが逃げ出した、というような、吸血コウモリなんぞでないことを祈っている。  
 徒然草なんぞという古典の中でも、夏は夕暮れといっている。あれ? 夕暮れは秋だっけか? つとめてってのはいつだっけ? 夏は夜か。まあいいや。冬の夕暮れだって、捨てたものではない。寒い寒いと言ってうつむいてばかりいないで、たまには上を見上げてみるのも良いのではないだろうか。  
 夕暮れを過ぎて、夜になれば、夏よりも冬の方が星空が美しいのだし。運が良ければ、もれなく満月がついてくる。  
 残念ながら都会では、真っ暗な空に冴え渡った月、というわけにはいかないが、街灯などのほとんどないところで下を見ると、自分の影がはっきりでていることがある。そんなときに空を見上げると、青白い月がくっきりと空に浮かんで、寒さもひとしおだ(笑)  



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