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[ エッセイのようなモノ ]
眠れる者は枕をつかむ

2006.03.14

 耳というのはよくできたもので、眼鏡をかけたりマスクをしたりするのに、これほど便利なものはない。もし耳がなかったら、花粉症のこの季節、つらい思いをする人が、かなりいたことだろう。  
 って、そういう話をしたいんじゃない。  
 地下鉄に乗ったことのある人ならばわかると思う。いや別に、地下鉄でなくとも、やたらとBGMのうるさい喫茶店とか、パチンコ屋とか、そういったやかましい場所で誰かと会話をしようとしたとき、まわりの音がうるさくて、相手の言っていることが聞き取れないことがある。  
 ところが、おなじようにうるさい場所でも、ひとりで本を読んでいるぶんには、うるささが少しも気にならない。もちろん、中には、うるさくて集中できないから本も読めない、という人もいるだろうが、騒音の中で会話を交わす困難さに比べたら、本を読むなんざぁ、屁でもないだろう。  
 同じうるささの中にいるにもかかわらず、一方ではうるさく感じ、一方ではそれほど気にならない。もちろん、本を読んでいるときに、耳をふさいでいるわけでも、耳栓をしているわけでもない。まわりのやかましさは本来同じレベルのはずで、ちゃんと耳に入ってきているはずなのに、意識に上る場合と上らない場合があるわけだ。不思議なことである。  
 もちろんこれは、実際には耳の働きでははく、脳の仕事である。耳はおそらく、とにかくすべての音を拾っているはずだ。で、入ってきた音のうち、そのときに必要と思われるものを、脳が判断して取り込もうとする。このとき、目的とする音が取り込み困難だった場合に「やかましいっ!」と感じるのだろう。つまり、会話を交わしているときには、必要な音(相手の声)を取り込もうとして、うまく取り込めないからうるさく感じ、読書をしているときには、そもそも音を取り込もうとしていないので、うるさいと感じる要素がないことになるわけだ。  
 ところが、読書などをしていて、特に音を取り込もうとしている状態ではないにもかかわらず、なぜか脳を襲撃してくる音もある。  
 子供の泣き声。その子供を怒鳴りつけている母親のヒステリックな叫び声。突発的な大きな音なんぞも、強制的に脳に取り込まれる。強制的に取り込まれるったって、脳にその気がないのに勝手に入ってくるわけではない。むしろ、脳が本能的に「この音、意識する必要あるかも」と判断した結果、自発的に取り込んでいるのである。つまり、本能ってやつ。  
 突発的な大きな音は、なんらかのアクシデントの可能性があるわけだから、当然取り込む。子供の泣き声に反応するのは、おそらく子孫を保護しようという種としての本能だろうし、親の怒鳴り声に反応してしまうのは、子供のころに悪さだの危ないことだのをして、親に怒鳴られたときの記憶が残っているからかもしれない。どちらの場合も、単に声のでかさに驚いただけ、という可能性もあるが。  
 しかし、そうやって考えると「ガキの声がうるさい」と怒鳴っている大人は、実は本能的に子供の声を良く取り込む脳を持っていて、つまり保護本能バリバリなひと、ということなのかもしれない。  
 その一方、目覚まし時計がガンガン鳴っているのに、ちっとも目を覚まさない人もいる。そういう人の脳は、おそらく目覚ましの音に危険を感じていないのだろう。  
 ということで「うちのかみさんは、朝目覚ましをみっつ鳴らしても、グースカ寝てやがる」とお嘆きの旦那様がた、勘違いしてはいけない。あなたの奥さんは、あなたが横にいることで安心して、ぐっすり寝ているのである。  
 もちろん、立場が逆になっても同じこと。「休みの日には、枕元で掃除機かけても、うちの亭主は起きやしない」とお嘆きの奥様がた、ご安心ください。あなたの旦那様は、掃除機の音で、あなたがそこにいてくれていることを認識して、安心して寝ていられるのです。ほんとか?  
 ただしこれ、逆に考えると、相手に対する保護本能は働いていない、ということになる。つまり、もし本当に大事な人が横に寝ていて、ちょっとでも大きな音がしようものなら、守らなきゃいかん、という気持ちが働いて、飛び起きてしまうはずなのだ。そうならないのは、自分が保護される立場にいる、と考えて安心しているか、さもなければ、もう愛していないからだ。そのあたりのことは、一度奥さんなり旦那さんなりに確認しておいたほうがよいかもしれない。その結果どうなっても、もちろんわたしの知ったことではない。  
 まあ、場合によっては脳が生存本能も保護本能もかなぐり捨てて、死んでもいいから休むべきだ、と判断するぐらい疲れている、という可能性もあるが、だとすると、その脳は壊れている可能性も高い。  



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