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これであなたもエッセイのようなモノが書けるとは思えない (横書きモード) |
| まえがき | まずはテーマを決めよう | ネタを集めよう | タイトルの決め方 |
| どう書けばよいか | 効果的な展開 | オチのつけかた | 秘伝 |
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2002.01.25
エッセイのようなモノを書く場合、実はタイトルなんぞどうでも良い。 大切なのはテーマや扱っているネタであって、タイトルなどは重要でない。そもそも、読者がどれだけタイトルを意識しているかだ。どうせタイトルなんぞ見ちゃいない。仮に「IT革命」というようなタイトルをつけておいて、内容でまったくIT革命に触れていなかったとしても、誰も気がついたりしない。嘘だと思ったら、一度試してみるといい。もしばれたとしても、わたしの知ったこっちゃないが。 よく「タイトルは文章の顔である」というようなことが言われる。そんなはずはないのである。タイトルが顔だとしたら、目はどれだ? どこが鼻だ? 口はちゃんとあるのか? そういう細かいパーツがきちんと揃っていなかったとしたら、たとえ顔だとしてもあまり役には立たないだろう。役に立たない顔だったら、なくても同じことだ。 「内容を端的にあらわしていて、それでいて謎を残したものが良い」などといっている「書き方」系のものもあるが、そんな難しいことができるはずがない。そもそも内容を端的にあらわしちゃったら、謎なんぞ残りようがないのだから。もし内容を端的に表現したかったら、内容とまったく同じものをタイトルと称してつけてやればよいのである。本文が原稿用紙五枚のエッセイのようなモノに、同じく原稿用紙五枚の長さのある、本文とまったく同じ内容のタイトルをつけてやれば良いのだ。どうせ読者が気づくことはない。もしばれても「あれ、本当だ」でごまかせるはずである。枚数も稼げるし、一石二鳥だろう。 だから、タイトルなんぞつける必要はない。どうしてもつけたい場合には、とりあえず「テーマ」として取り上げていることをそのままタイトルにしておけば良いのである。 たとえばIT革命をテーマにしたエッセイのようなモノならば「IT革命」というタイトルにすればよいのだ。そうしたからといって、誰も「つまんねぇタイトルだ」とか「全然ひねりがない」なとど文句はいわない。仮にそういうことをいう読者がいたとしても、無視すればよいだけのことだ。凡庸な読者には、簡素なタイトルの崇高な意味などわかるはずもないのだから。なにも、凡人のレベルにまで降りてやる必要などない。 ただし、間違っても「IT革命について」などというタイトルにしてはいけない。そんなタイトルをつけてしまうと、本文でしっかりとIT革命について自分が考えたことを書かなければならなくなる。誰もそんな面倒なことはしたくないだろうし、ちょっと考えればわかることだろうと思うが、エッセイのようなモノの中に、自分の考えだの意見だのを入れたりしたら、自分の馬鹿さ加減を読者に知らせてしまうことになるではないか。そんな危険を冒すのは、崇高な学術論文を書くときだけで良い。 くれぐれも、タイトルに「について」などと入れたりしないように。それが格好悪いということは別にして。 他にも簡単なタイトルのつけ方がある。もちろん、自分で考える必要はない。どこかで素敵なタイトルを見つけてきて、それを自分のエッセイのようなモノのタイトルにつけてやれば良いのだ。パクリだなんぞと思わないように。たとえば木村拓哉が人気があるからと、生まれて来た自分の息子に「拓哉」という名前をつけても、だれも「パクリだ」なんぞと言わないだろう。それと同じことだと思えば、パクリでも何でもない。 そのまま使うのは気が引ける、という気弱な作者は、多少いじって使う。有名なタイトルも、ちょっといじってあげるとぐっと良くなるものである。 どこで見たのか忘れたが「質問と回答のサンバ」とか「ストレス・ザン・パラダイス」なんぞ、明らかにこのパターンなのだが、もとがどんなだったか忘れさせてしまうほどできが良い。しかも、内容を端的に表していて、タイトルの見本のようなものだ。って、本気にしないように。 いじり方にもいろいろある。 元ネタの一部だけ使ったり、複数のものをつなげたり、一部を他のものと入れ替えたり、いろいろといじっているうちに、元がどんなんだったか忘れてしまうことだってある。そうなったらしめたものだ。もう「パクリだ」なんぞとは言われないで済む。 もちろん、エッセイのようなモノのタイトルとして使うからといって、律儀に他のエッセイのタイトルを借用してくる必要もない。歌のタイトル、映画のタイトル、ドラマのタイトル、小説のタイトル、ボクシングのタイトル。使えるものは何でも使う。タイトルである必要すらない。格言、ことわざ、名ゼリフ、歌詞、詩の一節、お経の一部、悪魔を呼び出す呪文。使えるものは何でも使う。 つまり、タイトルなんぞつけようと思えばどうにでもなる、ということだ。問題は、どんなタイトルをつけるのか、ということ。 まあ、どうしても良いタイトルが思い浮かばない場合には、「題未定」とか「タイトル思案中」というタイトルにでもして、そういうタイトルなんだ、と言い張ればよいのだ。これまだ使ってないな。今度使おう。 どんなタイトルが良いか、ということの他に、タイトルはいつつければ良いのか、という問題もある。 基本的には、先に気に入ったタイトルを思いつけば、中身もスラスラと書ける。中身が先にスラスラと書けた場合には、良いタイトルもすんなりと出てくる。つまり、タイトルだけ別に考えようというのは、間違っているのだ。そもそもタイトルは文章の顔なのだから、顔だけ別につけようというのがいけないのだ。 わたしの場合、タイトルはいつのまにかついていることが多い。気がつくとタイトルはそこにある。先にタイトルだけできている場合もあるし、本文を書き上げた時点でタイトルが浮かんでいる場合もある。まあ、時にはなかなか良いタイトルが出てこなくて、悩んだあげくにテキトーなタイトルをつけてしまうこともあるのだが、そんなことは五回に十回ぐらい(注:この記述はミスではない)しかない。 とにかく、タイトルをつけるのは難しい。 気に入ったタイトルを思いついたからといって、それにみあった内容が書けるとは限らないし、最高の文章が書きあがったからといって、最高のタイトルが出てくるというものでもないのだ。 だとしたら、良いタイトルをつけようなどと悩んでもしょうがないではないか。とりあえずは、それらしいタイトルをつけてお茶を濁す。テキトーにつけるタイトルなら、いつつけても一緒だろう。 |