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[ 小説のようなモノの書き方 ]
文章を小説っぽくする
読みやすい文章を書く

1999.02.24

 内容に自信があればともかく、内容に自信のない場合は、できるだけ読みやすい文章を書く必要があります。内容に自信があったって、文章は読みにくいより読みやすい方がいいに、こしたことはありません。  
 で、読みやすい文章というのがどういうものか、というと、これが実に説明しづらい。もちろん、本職の書いた「文章の書き方」の本を見れば、その手のことは書いてあります。しかし、「主語がどうの」とか「修飾語がなんたら」といわれても、ちんぷんかんぷんで。  
 そこで、この項は、「書くための練習のようなモノ」の中の「読みにくい文章を書く」と連動して、読みにくい文章を、どう直せば、少しでも読みやすくすることができるか、という話をしてみようと思います。  
 ただ、読みやすい文章というのは、別に「すばらしい文章」のことをさしているわけではありませんので、そのあたりは勘違いしないようにしてください。だいたい、「すばらしい文章」とか「名文」といわれるものは、わたしには書けないんですから、説明のしようがありません。  
 
 まず、ひらがなばかりで読みにくい文章は、適度に漢字を入れれば、読みやすくなります。逆に漢字ばかりで読みにくい文章は、漢字を減らしてひらがなにしてやれば、読みやすくなります。で、どのぐらいの配分が読みやすいか、という問題に関しては、各自いろいろ試してみて、コツをつかんでください。  
 他人の書いた文章をいろいろ分析してみる、というのも、手のひとつです。分析ったって、べつに「全部で何文字中、漢字が何文字で」なんて数える必要はありません。好きな作家の文章を見て、「この字は漢字を使ってる」とか「これはひらがなにしてるのか」と思えばいいわけです。この場合、あくまでも文章を「見る」のだ、ということに注意してください。「読ん」でしまうと、内容の方に意識が行ってしまって、字面に意識が行かなくなりますから。  
 
 句読点の入れ方も同じです。句読点の多い少ないは、ある程度は書き手読み手の好みがありますので、自分にとって適度な句読点の入れ方は、「書くための練習のようなモノ」の中の「読みにくい文章を書く」を参考にして、練習してみてください。ただ、句読点を入れる場合には、ある程度のコツというか、約束のようなものは、いくつかあります。  
 まず句読点は、必ず意味の区切りで入れる、ということ。中途半端な位置に入れてはいけません。たとえば、こんな感じ。  
 
 「わた、しは彼に。いった」  
 
 まあ、いくらなんでも、こんな使い方をする人はまずいないでしょうが。この文章に正しく句読点を入れるとしたら、  
 
 「わたしは、彼にいった。」  
 「わたしは彼に、いった。」  
 「わたしは、彼に、いった。」  
 「わたしは彼にいった。」  
 
 このいずれかになるはずです。どの使い方も、間違いではありません。問題は、どの使い方をするか、ということでしょう。  
 それぞれに、多少意味合いが違ってきます。読点を打つ位置によって、その文章の、どこに重点が置かれているかが変わってきます。  
 先の例でいくと、「わたし」に重点が置かれているか、「彼」に重点が置かれているか、「いった」に重点が置かれているかの違いです。  
 どの例がどれにあたるのかは、ここでは説明しません。なぜかというと、わたしが思うに、文章のどこに重点が置かれているか、ということは、本来、読点だけで表現するべきものではないはずだからです。読点だけで表現したのでは、あまりにも曖昧すぎると思います。国語の試験じゃないんですから、  
 「上の例文のうち、「彼」に重点が置かれているのは何番か」  
 なんて聞かれても、「知るか、そんなの」といいたくなります。  
 だいたい、意味があって重点を置きたいのならば、読点のような曖昧なやり方ではなく、文章できちんと表現すればよいはずです。それをしないということは、どう取られてもいいと、作者が考えているに違いないのです。  
 とはいっても、ここは「ド素人のための小説のようなモノの書き方」ですから、読んでいる方はおそらく「ド素人」を自負している方でしょう。そうなると、どこに重点が置かれてしまうか、などという細かいことまで意識せずに、とりあえず読点を打ってしまうことは、数多くあると思います。その結果自分が意図した通りには、他人が読んでくれないことになる。それではちょっと困りますね。  
 そこで、句読点を入れる練習です。「読みにくい文章を書く」の中で紹介している、まず句読点を入れずに文章を書いて、あとから句読点を入れてみる、という練習をしてみてください。  
 
 長くて読みにくい文章の場合には、いくつかの短い文章に切ればいいわけですが。問題は、どこでどう切るか、ということですね。これにも、書き手のセンスと好みがありますので、一概に「こうしなさい」ということはいえません。  
 たとえば、「読みにくい文章を書く」の中に出てきた例文、  
 
 「昨日結婚したわたしの姉の亭主であり、わたしにとっては大学時代の恩師でもある彼が、徹夜明けで髭も剃っておらず、髪もぼさぼさで疲れきった顔をしているはずのわたしの方に、何か楽しいことでもあったときの彼特有の癖でもある、間の抜けたスキップのような足取りで走って来た」  
 
 を例にとってみましょう。これはもともと、  
 
 「彼がわたしの方に走って来た」  
 
 という文章に、余計な説明をつめこんだものだ、ということは、おわかりいただけると思います。ということは、長い文章から、説明部分だけを切り取って、いくつかの文章に分ければいいはずです。  
 
 「彼がわたしの方に走ってきた。彼は、昨日結婚したわたしの姉の亭主であり、わたしにとっては大学時代の恩師でもある。例によって、何か楽しいことでもあったときの彼特有の癖でもある、間の抜けたスキップのような足取りだ。わたしは、といえば、徹夜明けで髭も剃っておらず、髪もぼさぼさで、疲れきった顔をしているはずだった」  
 
 これで少しは理解しやすくなったはずです。完璧かどうかは、別にして。いくつか単語の追加もしています。それは、どうしても避けられないことでしょう。それに、おそらくまだ、一部理解しにくい部分があると思います。このあたりは、順序を入れ替えたり、句読点の位置を変えたりして、工夫していけばよいわけです。  
 このあたりは、ワープロを使えば楽にできると思います。自分の文章をいろいろといじくりまわしてみるのも、結構楽しいものです。  
 どうしても思い通りの文章にならない場合でも、やけになってはいけません。  
 そういう場合は、その文章は二、三日ほうっておいて、頭を冷やしてから、再度検討してみましょう。それでもだめな場合は、とりあえずあきらめる(笑)  
 たかが「小説のようなモノ」です。命がかかってるわけじゃなし。多少の欠点も魅力のうちと考えて。それに、いろいろな文章を書いていくうちに、だんだん慣れてきますから、いつか、いい文章に変更できることもあるでしょう。そのときまで、とりあえずほうっておきましょう。  


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