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[ 小説のようなモノの書き方 ]
内容を小説っぽくする
全部吐き出すな

1999.12.24

 書くための練習のようなモノの中で、描写の練習方法を紹介しました。駅前の光景を片っ端から言葉にしていく方法や、まわりの人を観察する方法です。この練習を繰り返すことによって、文章を書くときに、かなり細かい部分までイメージできるようになったと思います。  
 まだそこまでいってない? そういう場合は、もっと練習を繰り返してください。まあ焦らずに、のんびりと。  
 ここではとりあえず、細かい部分までイメージできるようになったことにして、話しを先に進めます。もっとも、ここでいっている「細かいイメージ」というのは、見た目の描写に関することに限りません。とりあえず「書きたいこと」と考えていただいて結構です。主人公の性格や外見でも、その行動や考えていることでも、まわりの風景でも。単に作者として、読者に向かって訴えかけたいことでもかまいません。とにかく「何か書きたいこと」だと思ってください。そういうもので、頭の中がいっぱいになっている場合のはなしです。  
 そういう意味では、これは必ずしも「小説のようなモノ」の書き方に限ったことではないかもしれません。とにかく、言葉で何かを伝えようと思ったときのことだと考えていただいてもいいかもしれません。  
 さて、頭の中に、かなりたくさんの「書きたいこと」が詰まっているとしましょう。あれも書きたい、これもいいたい。これをわかってもらわなきゃいけない。これだって重要だ。と、いろいろなことが、頭の中に渦巻いているとしましょう。その場合でも、書きたいことのすべてを文章にするのは避けてください。文章にするのは、頭の中にあるもののうち、80%ぐらいまで。場合によっては50%とか30%ぐらいでもいいかもしれません。とにかく、全部吐き出したりしないように、充分注意してください。  
 もし頭の中のイメージをすべて投げつけてしまうと、描写の嵐で読者が面食らってしまうのです。  
 第一、思い付いたことを、かたっぱしから言葉にしていったのでは、格好よくありません。  
 たとえば、登場人物の描写です。まともな「小説の書き方」系の本を読むと、登場人物の履歴書が書けるぐらいじゃないといけない、と書いてあることがあります。年齢や身長体重はもちろんのこと、外見の細かい部分にはじまって、性格や生い立ち、出身はどこで、どんな子供時代を過ごして、なんてことまで、頭の中にはできていなければいけない、と。  
 で、その手の本には、すぐその後に「もっとも、これらのことは、実際に作品には登場することはないのだが」ってなことが書いてあったりします。「使わねぇんなら、いらねぇじゃねぇか」と思ってしまいがちですが、じつはこれが、そうでもないようです。実際に作品には出てこない部分、文章にはならない部分が、作者の頭の中にどれだけあるか、ということが、作品を裏で支える大きな力になるようです。  
 もちろんこれは、言葉にしないで読者に伝えろ、といっているわけではありません。そんなことは絶対に無理です。そうではなくて、伝えるべきことを意識して、数ある材料の中から、必要なものだけを選んで使え、という意味です。いいたいことがたくさんあればあるほど、その中から取捨選択して、より強くいいたいことだけを、文章にするようにしてください。  
 これは、考えようによっては、料理に似ているかもしれません。手持ちの材料を、とにかく全部使いきって作ったようなものよりも、数ある材料の中から、できあがった料理の良さを引き立たせてくれる素材を選択して、しかも同じ材料の中から、質の良いものだけを吟味して作った料理の方が、たぶんおいしいものに仕上がるはずです。単に量だけ多くて味のはっきりしない料理よりも、ちょっと少ないかな、と思うような量で、風味豊かな料理の方がおしゃれでしょ? どうせ作るなら、「おいしい!」といってもらいたいじゃないですか。  
 何をどう選べばいいか、という問題は、何をどう表現したいか、何を読者に伝えたいのか、ということによりますので、ここで「こうしろ」という説明をすることはできません。今あなたが読者に伝えたいことはいったいなんなのか、ということをよく考えて、不要な部分を削っていってください。  
 これには、かなりの練習が必要かもしれません。最初からうまく削ることは、できないかもしれません。ですから、最初のうちは、とりあえず全部吐き出してしまってもいいでしょう。そして、推敲の段階で、いらない描写を削ったり、言葉を変えたりして、少しずつシェイプアップしていくように、努力してみてください。文章だって、肥満は敵です。  
 いいたいことがたくさんありすぎて、削ることなんかできない、という場合もあるかもしれません。しかし、そんなときこそ、心を鬼にして、削る努力を重ねてください。というよりも、「いいたいことがたくさんありすぎる」という人は、それだけで充分幸せなんです。その幸せに溺れずに、幸せ太りしない努力を重ねてください。  
 書いている文章の、どこにピントを合わせるべきか。どこを一番伝えたいのか。そのためには、どこを削りどこを残せばいいのか。最初のうちは、思った通りの文章にならないかもしれません。そういう文章も、「書いたモノは残す」というルールに従って、きちんと残してください。その積み重ねによって、次第に慣れてきます。  
 最初のうちは、見る人が見れば、「おいおい、そっちを捨てるかね?」といいたくなるようなことを、してしまうかもしれません。それでもいいじゃありませんか。たくさん読んで、たくさん書いていくうちに、だんだんわかるようになってきますよ、きっと。場合によっては「これが俺の文章だ!」と開き直っちゃうのも手ですしね(笑)  
 もちろん、シェイプアップするためには、逆に書き手の頭の中には、あふれるほどのイメージがなければいけません。これも料理に通じるところがあるでしょう。ろくに材料がない状態なのに、そのうえその材料を出し惜しみしたら、ろくな料理にはなりません。もちろんプロの手にかかれば、あまりものだって立派な食材かもしれませんが、なんせこっちはド素人です。できあがりをなるべく同じようにするためには、より多くの材料を用意しなければならないんです。そうしないと、描写が薄っぺらになって、読者はその場面をイメージすることができなくなってしまいますから。ひとつひとつのシーンに対して、できるだけ多くの素材を用意してください。ひとつのシーン、ひとつの感情を、いかに多くの言葉で細かく表現するか。そしてそのたくさんの表現の中から、どれを使いどれを捨てるかに悩み、楽しんでください。  
 作者のいいたいことを、読者に的確に伝えるためには、山のようにある「いいたいこと」の中から、内容を選び、言葉を選んだ方が、より効果があがるのです。  
 ついでにいっておきますが、これまた料理と一緒で、使わなかった部分がそのままごみ箱行きか、というと、必ずしもそういうことにはならない場合も多々あります。あるシーンでは切り捨てた部分を、他のシーンで使ってみたり、別の作品に流用してみたり。そういうこともできますので、切り捨てるときは容赦なく切り捨ててしまいましょう。  
 もちろん、切り捨てた部分が二度と使えない、って可能性だって、山ほどあるんですが……  


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