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[ 小説のようなモノの書き方 ]
書くための練習のようなモノ
人間の観察

1998.05.05

 以前、電車に乗っている時に変わった人を見かけたことがあります。その人は、ずっと独り言を言いつづけていたんですが、その独り言がとても変わっていました。どうやら、架空の、というかわたしには見えない会話の相手が存在するようで、その相手とずっと喋っているのです。それも普通の会話を。もちろん、見えない相手はその声も聞こえませんから、こちらの耳に入ってくるのは、その人のセリフだけ。ところが、これがちゃんと会話になっているのです。しかも、会話の内容が、こちらにもなんとなくわかる。最初のうちはその人のことが少し気持ち悪かったんですが、そのうち恐くなってきました。もしかしたら、会話の相手はちゃんと存在して、わたしの目に見えないだけなんじゃないか、と。不安になってまわりを見回してみると、近くにいた何人かの人が不信そうな目でその人を見ていましたから、会話の相手はその人にしか見えていないようなんだ、ということがわかって少し安心しましたが。  
 で、その時のまわりの人の反応がなかなかおもしろい。  
 明らかに嫌悪感を抱いているような表情の人もいたし、心配そうに見ている人もいたし、自分には関係ないといいたげにそっぽを向きながらも、横目でちらちら見ている人もいた。そのうえ、そういう人たちを何気なく観察してるわたしがいるわけですから、それをまた別の人が観察していたらおもしろかっただろうなぁ、と。  
 そういう少し異常な状況ではもちろんそうですが、あたりまえの状況でも、人それぞれ性格が違うわけですから、物事に対する反応はまちまちです。  
 たとえば、エレベータを待っているときに、ドアの正面に額をつけんばかりに近づいてぴたりと立っている人がいます。で、ドアが開いたときに、いきなり中から人が降りてきて、双方びっくりするわけですが。この人の場合、自分がボタンを押してエレベータを呼んだ、という事実が発生した瞬間に、降りてくる人がいる、という可能性はどこかに消えてしまうんでしょうね。  
 だからなに、ということですが(笑)  
 小説のようなモノを書く場合に重要なことは、登場人物の書き分けです。  
 小説の新人賞の選考委員の寸評なんぞを読んでいると、「人物の書き分けができていない」とか「登場人物がみな生き生きしていて」とかいうのが、よく出てきます。  
 で、その書き分けの方法として、この手の観察結果を使うわけです。  
 例えば、かなり自分中心なものの考え方をする登場人物がいたとします。その場合、「彼は自分中心なものの考え方をする男で」と書くよりも、自分中心であるがために、どういう行動をとるかを描写した方が、より小説っぽくなるのです。  
 で、少し前の例えに出てきたエレベータの前にいる人ですが。この人が実際に自己中心的なものの考え方をする人かどうかは、わかりません。しかし、見た感じからそうなんじゃないか、と思えれば、それは小説のようなモノに使えるわけです。  
 逆にそこまで深く突っ込んだ観察でなく、もっと表面的な観察も必要になります。  
 自分の書いた小説のようなモノを、少しでもオリジナリティのあるものにするために、よくある表現は避けた方がいい、というのがあります。例えば、  
 「眉間に皺を寄せて考え込む」  
 「目を三角にして怒る」  
 なんてぇ表現は、極力避けた方がいいわけです。  
 そこで、まわりの人間が何か考え込んでいるときや、怒っているときに、それを観察するわけです。そういう場合、おもしろいことに、ある程度の共通点があるのです。考え事をしている場合など、天井を見上げる人と、うつむく人がいますが、基本的に正面を見据えて考え事をする人はあまりいません。上や下でなくても、視線は必ずといって良いほど上下左右のどこかにずれているはずです。で、それを小説のようなモノの中で使う、というわけです。単純に「眉間に皺を寄せて」と書くよりも、「あらぬ方向を見据えてぶつぶつ言い始めた」と書いた方が、少しはそれっぽくなるはずです。ただし、「あらぬ方向を見据えて」という言い回しも、よくある表現ですけど。  
 で、この逆をやる、という手もあります。どういうことかというと、登場人物に他人と違う癖を持たせることで、その人物の特徴を出す、というもので、たとえばある人物は考え事をするときには、右手の親指と人差し指で下唇をひねる癖がある、とします。そういう癖を何個所かで提示しておいて、その後で、その人物がまわりの人間と普通に会話しているシーンで、その癖を出させます。そうすると、読者には「あ、こいつ今何か考えてるんだ」ということがわかるわけです。  
 そういうことに使うためにも、普段から情報を仕入れておくのは大切なことです。  
 先に出てきた電車の中の人物のような場合、たしかにちょっと恐かったりする場合もありますが、そういう場合でも単純に嫌悪するのではなく、少し離れたところから、さりげなく観察をしてみると、なかなか面白いものですから、小説のようなモノを書くため、ということを別にしても、一度試してみるといいと思います。  
 ただ、そういう場合、世の中にはいろいろな人がいるということをきちんと頭において、充分注意するようにしてください。喧嘩を売っていると思われたり、惚れてると思われたりしても、わたしは責任は負いません。ひどくなると、自分が変な目で見られちゃうかもしれませんが、その時はその時。変な人を見るまわりの態度を、じっくり観察してしまいましょう。  


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