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書くための練習のようなモノ |
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1998.05.05
小説の中の登場人物は、何もない真っ白な空間に存在するわけではありません。あたりまえのことですが、その人物がどんな格好をしていて、どんな場所にいて、季節はいつで、なんてぇことがちゃんと書いていないと、何もない真っ白い空間に人物だけが存在することになってしまいます。 風景描写は、ちゃんとしましょう。 これの練習は、簡単といえば簡単、難しいといえば非常に難しいのですが。平たくいうと、目に見えるものをすべて言葉で表してみる、というものです。 たとえば同じ駅前の風景を描写しようと思った場合でも、建物の描写、行き交う車の描写、歩いている人の描写はあたりまえとして、季節、天候、時間によっても、その内容は変わってきます。そういったものをすべて頭の中でひねり出すのは、なかなか難しいものです。そこで、目に見えたものをすべて言葉にしてしまう練習をするのです。 こう書くと簡単そうでしょ? ところがこれがなかなか難しい。 目に見えるものといっても、動くものもあれば動かないものもあります。一瞬のうちに通り過ぎていくものと、じっと動かないものを同じように表現していては、その臨場感は出ないでしょう。 でも、最初は気にしないで、とにかく目に見えたものをそのまま言葉にしてしまいましょう。仮に、駅前でそれをやるとしても、なにもメモを取る必要はないでしょう。頭の中で言葉にすればいいのです。はじめのうちは、同じ場所で何度もやっていると、そのうちに、最初は気がつかなかったことにも気がつくようになります。それを、家に帰ってから思い出して文章にしてみる。 その場合でも、それぞれの配分を気にする必要はありません。とにかく覚えていること、思い出したことを、片っ端から書いてみましょう。あとは、出来上がったものを削ったり、順番を入れ替えたり、フィクションを加えたりして、臨場感を出していけばいいのです。 なにも、屋外に限ったことではありません。今自分がいる部屋の状態を、見たままに表現するのでもいいわけです。わたしにとっては、自分の部屋を見る限り、あまり楽しい練習にはなりそうにありませんが。 あとは、たとえば駅から家への地図を、絵ではなく言葉で表してみる、というのもあります。そういう場合、見える物をなんでもかんでも言葉にしてしまうわけには行かないでしょう。目印になるものだけ、ちゃんとわかるように表現しなければなりません。 どの場合も気をつけなければいけないのは、小説のようなモノを書くための練習だということを忘れてはいけない、ということです。 駅からの地図を文字で表すにしても、 ・改札を出て右に行く。 ・二つめの信号を左に曲がる。 なんてぇ書き方ではいけないのは、あたりまえのことです。 この練習の場合、一番簡単なのは、一人称形式でしょうから、最初はそれでいきましょう。慣れて来たら三人称にしてみると、これはこれで難しいことがよくおわかりいただけると思います。 |
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