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[ 小説のようなモノの書き方 ]
推敲
文体の統一

1999.05.10

 「文章を小説っぽくする」でも説明しましたが、文体には大きくわけて「です・ます調」と「である調」のふたつがあります。  
 一般に「ちゃんとした大人」といわれる人は、通常の会話のときには、この「です・ます」と「である」を無意識のうちに使い分けています。自分より目上の相手や、あまり親しくない相手の場合は「です・ます」を、目下の相手や親しい相手には「である」を使います。もちろん、中にはすべての相手に「です・ます」を使う人もいるでしょう。逆にすべての相手に対して「である」を使う人の場合、小さな子供でない限り、顔をしかめられてしまうのが実状です。  
 ところが、この「無意識のうちの使い分け」が、小説のようなモノを書いているときに出てしまうと、困ったことが起きます。  
 ずっと「です・ます調」で書いていたのに、なにかの拍子に「である」が出てきてしまったり、ずっと強い調子で書いてきたのに、書いている内容に自信がなくて、その自信のなさが「です・ます」となってあらわれたり。  
 理由はいろいろあります。  
 ただなんとなくそうなってしまった、ということが一番多いでしょうか。  
 この「ただなんとなく」は、小説のようなモノを書く場合には、できるだけなくした方がよい状態です。  
 「です・ます調」で書き始めた文章は、最後まで「です・ます調」でなければなりません。一個所でも「である調」が出てくると、小説っぽさがなくなってしまいます。  
 推敲のときには、その点に十分気を配ってください。  
 ちなみに、このホームページは「エッセイのようなモノ」以外は、すべて「です・ます調」を使用するように心がけています。ただ、ここでいってしまうと問題があるのですが、あんまりちゃんと推敲をしていないので、ところどころおかしい部分もあると思います。だから、おかしな部分を見つけたからといって、文句を言ってきたりしないように。「ここ、おかしいよ」と教えていただくのは大歓迎ですが。  
 特に「エッセイのようなモノ」を書いたすぐあとに「感想文のようなモノ」を書いたりすると、気がつかないうちに「である」になっていたりして、修正に苦労することがよくあります。  
 自分で書いてみればわかるとおもいますが、「です・ます」から「である」への修正(あるいはその逆)は、ただ単純に入れ替えればいい、というものではありません。  
 ためしに、この項の最初の部分を、「である調」に変えてみましょうか。  
 
 「文章を小説っぽくする」でも説明したように、文体には大きくわけて「です・ます調」と「である調」のふたつがある。  
 
 これは、ある程度は練習が必要になる書き換えだと思います。  
 自分の文章でも、他人の文章でもかまいませんから、「です・ます」を「である」に変えたり、「である」を「です・ます」に変えたりして、遊んでみるのも練習になるでしょう。  


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