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2000.12.28
ロバート・ゼメキス監督というと、思い出す言葉があります。監督がインタビューに答えて言ったことで、どこかの雑誌で読むか、テレビで見たんだと思いますが。ただし、正確には覚えていません。おおよそ、こんな感じ、というレベルでしかありません。
「きみたちはいいよ。ゼメキスの新作を、ワクワクしながら見れるんだから。僕にはそういう楽しみはないんだぜ」
といった感じのものでした。
いやぁ、すごい自信ですねぇ。もちろん、冗談半分で言ったことなのでしょうが、わたしの耳に(目だったかも)焼きついて離れません。
同じように、アルフレッド・ヒッチコック監督が「自分の作品の中で、最高傑作はどれですか?」と聞かれて、答えていわく「ネクスト・ワン」つまり、「次の作品が最高だ」といったのはほとんど伝説と化してますが。あれ? 「ネクスト・ワン」と言ったのはチャップリンでしたっけ? ヒッチコックだったよなぁ。自信ありません。
さて、わたしの印象としては、ゼメキス監督というと娯楽作品の神様、というイメージがありまして。同時に、娯楽作品のお子様というイメージもあるんですけどね(笑)その作品のどこかに、ほぼ必ずといっていいほど、茶目っ気があります。まあ、ゼメキス監督というと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のイメージが強いから、そう思ってしまうのかもしれませんが、他の作品にしたって、かなり茶目っ気たっぷりです。アカデミー監督賞を取った「フォレスト・ガンプ」にしても、超大作というイメージよりは、茶目っ気たっぷりの娯楽作という雰囲気を、強く感じてしまいます。
で、この「ホワット・ライズ・ビニーズ」ですが。怖いという意味では、茶目っ気はないように見えます。でも、この作品のコンセプトが「ヒッチコックが生きていたら、今の技術を使って作りそうな映画」というのだそうで。この時点で、かなり茶目っ気があります。日本にも「黒沢明が撮ろうとした映画」として公開された作品はいくつかあります。でも、パロディ的な部分では、ゼメキス監督が作ったこの「ヒッチコックのパロディ」に軍配があがるでしょう。
もちろん、パロディといっても、ギャグという意味ではありません。物まねの世界でも、まねる対象を笑い飛ばすような芸風のものから、本物そっくり、あるいは本物以上に本物らしく、というやり方だってあります。この「ホワット・ライズ・ビニーズ」は、本物のヒッチコック作品以上に、ヒッチコック作品しているのではないでしょうか。
まあ、もちろん不満もありますが、不満といっても「ここはヒッチコック風じゃないなぁ」というレベルの不満なんですが。ひとついうとすると、前半の「隣人が怪しい」という展開が、途中でチョンと切れちゃうことかな。まあ、全然意味がない展開ということではないんですが。正直いって、その前半の怪しい隣人部分はヒッチコック風なんですが、後半はちょっと違うような気がしました。いや、設定そのものはヒッチコック風なんですが、なんというかその……わたしもヒッチコック作品をすべて見ているわけではないんで、はっきりとは言えませんが、ヒッチコックの映画に「こういうの」が出てくることってあったっけ? わたしが覚えている限り、ヒッチコック監督って、かなり不可思議な現象にも、きちんと謎解きというか、現実的な説明をしていたような気がするんですが。「こういうの」が何なのかは、映画を見て確認してください。
ところで「ビニーズ」ってどういう意味かと思ったら、「下方に」とか「劣って」とか「似合わない」といったような意味なんだそうで。そうすると、この映画のタイトルはどう考えればいいんでしょう? 「何が下手な嘘?」とか「何が似合わない嘘?」かな? と思ったけど「ライ」は「嘘」の方じゃなくて、「横たわる」の方かな? だとすると「何かが下に寝ている」とでもなるんでしょうか? 両方ひっかけているような気もするし。どなたか、英語が得意な方、教えてください。わたしには理解不可能です。
そうそう。念のために書き添えておきますが、この映画の主役はハリソン・フォードではありません。ミシェル・ファイファーの方です。正直いって、この役は別にハリソン・フォードでなくてもよかったような気もします。ただ、ハリソン・フォードの新境地というか、かつてなかった役どころというか、これまでの彼のイメージを、逆手に取った設定というか。このあたりは、依頼したゼメキスもそれを受けたフォードも賞賛に値するんではないでしょうか。
そういえば最近は、ハリソン・フォードもあんまり鼻血出してないような気がする(笑)
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