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[ 映画の感想文のようなモノ ]
映画「ガメラ3/イリス覚醒」

1999.05.25

 とっくの昔に劇場公開が終わっていて、ビデオが出るのもまだ少し先、という中途半端な状態の作品ですが、ネタがなくなっちゃったもんで、勘弁してください(笑)  
 とりあえず、ビデオを借りるかどうかの参考にでもしていただく、ということで。たぶん参考にはならないでしょうが。  
 じつはこの「平成ガメラシリーズ」といわれている作品を、劇場で見たのははじめてなんですが、やっぱり大きな画面で見た方が、迫力はありますね。ビデオで見ると、ミニチュアがミニチュアに見えちゃって。  
 で、この作品の大きなテーマが「ガメラは人類の敵か味方か」というような感じになってまして。これはもう、見る前からある程度答えがわかってることなんですね、じつは。ギャオスの群れが出てくるうえに、イリスという敵も出てくるとなると、ガメラが人類の相手なんかしてる暇はないんですよ(笑)  
 完全な味方とはいえないまでも、少なくとも絶対的な脅威となるような敵ではない、というのは、見る前からわかっていること。だいたい、昔のガメラが「子供の味方」だったんですから、いくらリアルに描くとはいえ、ガメラを最初のゴジラやアメリカ版ゴズィラのようにしてしまうのは、やっぱり無理でしょう。  
 ただ、ガメラが人類を守るために存在するのかどうか、という点では、否と答えるべきなのでしょう。これについては、最初の「モスラ」の中でのセリフに、印象的なものがありました。  
 「モスラに善悪はわかりません。ただ、わたしたちに向かって来るだけなのです」  
 細かい部分がこの通りだったかどうかは、さだかではありませんが、おおむねこんな感じのセリフでした。モスラの幼虫は、ただ目標めざして直進しているだけで、ビルを破壊するのは、単に進路上にビルが存在してしまうからだ、ということなわけです。まあ、そういわれりゃそうだよな。  
 ガメラが子供の味方とはいえ、この平成版のガメラでは、ガメラは子供ではなく、若い女性とシンクロします。これは、巫女という発想からきているようなのですが、じゃあガメラは神様かい? と聞きたくなってしまうわけです。このあたりは、それっぽい設定をするために苦労しているわけで、それなりの評価はできますが、やっぱりガメラは子供の味方であってほしい、という思想は、作り手の側にも残っているようで、三作ともに、必ずどこかでガメラと子供の接点は残されています。一作目では、吊り橋の上の子供を守るし、二作目では子供の祈りで復活するし、三作目でも子供を助けるシーンがあります。  
 一作目、二作目は、かなりできのいい怪獣映画になっていましたが、この三作目は、少しゴジラに近づいちゃったかな、という感じがしないでもありません。まあ、それでもゴジラシリーズよりは、よっぽどできがいいんですが。そういう意味では「平成ガメラシリーズ」の中では一番不出来かも。  
 でやっぱり、いくつか疑問と不満を。  
 最初にガメラとギャオスが渋谷の街で戦うわけですが、そのときに、逃げ惑う人たちがいるのはいいとして、なぜか喫茶店でのんびりお茶を飲んでる人たちもいるんですね。あの人たちは、外の騒ぎに気がつかなかったんでしょうか?  
 それと、ラスト近くで京都の駅が大爆発するシーンがあるんですが、主要人物たちは、その爆発のど真ん中にいたはずなんですよ。なのに、やけどひとつするでもなく、ちょっと煤けただけってのは、納得できません。  
 あと、ラストシーンがちょっとあっけなさ過ぎるような感じです。どうせなら、ギャオスの群れに向かって飛び立つガメラを、正面からアップでとらえて画面を止める・・・  
 これはかつて、「宇宙の騎士テッカマン」というテレビアニメで使った手ですし、古い映画でも何度も使われている手ですが。  


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