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1998.07.29
パトリシア・コーンウェルの「検屍官シリーズ」以外の初の作品です。
とはいっても、やはり主人公は地位のある女性で、現役バリバリしかも美人。警察の署長も女、所長補佐も女。それも、二人ともいい女。ちょっとできすぎって気がしなくもありませんが、そこはそれ、小説ですから。「検屍官シリーズ」と違うのは、主人公がひとりではなく、主な主人公(って変な言い方ですが)が三人いる、ということでしょうか?
もちろん、それだけではありません。
「検屍官シリーズ」以外の初の作品、ということは、コーンウェルにとっては初の三人称の作品ということになります。
だからかどうか・・・・
視点が、あっちこっちに移動します。
誰かの視点で描写していたものが、いきなり改行もなしに別の人の視点で語られはじめたり、センテンスごとに視点が全然違ったり。
もっとも英語の場合、日本語と違って基本的には主語を省くことはあまりありませんから、視点に関する問題は日本ほど厳しくないのでしょう。それに、この作品に限っていえば、作者はそれを意図的にやっています。ひとつの問題に対しても、その場にいる複数の登場人物の心理描写を行うことによって、人が違えば捕らえ方が違う、というのを表現してくれています。だから、読んでいてとまどったり、わけがわからなくなったりはしません。そういう意味では、この作者、非常にうまい人です。ヘタな人がこれをやったら、もうなにがなんだかわからなくなってしまうことでしょう。
訳者の解説によれば、「ユーモア小説とも呼べるだろう」とのことですが、確かに同じ問題に対して悩んでいる双方が、まったく見当違いのことで悩んでいたり、悩みの対象がずれていたり、という点ではそうかもしれません。結構笑わせてくれるシーンもあります。でも、いまひとつすっきりしないのです。ユーモア小説と呼ぶには、各登場人物が苦悩しすぎるような気がします。
人物をいかにリアルに描くか、という意味では、登場人物がまったく苦悩しないよりは、それぞれがそれぞれの悩みを抱えていたほうが、当然人間味があっていいわけですが、それがどうも、わたしのようなお気楽人間には「悩み過ぎじゃない?」と思えてしまうわけです。それが「検屍官シリーズ」のように、全体のトーンが暗い作品ならば、登場人物も暗くてかまわないんですが、ユーモア小説の場合には登場人物ももう少し明るくていいのではないか、と。もちろん、この作品の登場人物だって、年がら年中悩んでばかりいるわけではありません。ジョークも言うし、笑いもする。各登場人物が悩んでいる内面を描いているのだって、その悩みそのものを読者に見せるためではなく、双方の食い違いで読者を笑わせるための部分が多いのですが、わたしには笑えない部分も多かった。
これはもう、読む側の感性の問題でしょうが。
メインになる事件も一応ありますが、それは本当に「一応」といった感じで、全体的には推理小説とかサスペンスといった感じよりも、警察官の日常を描いた作品、といった趣の方が強く出ています。それはそれで、そういった作品はたくさんありますから、好きな人は好きでしょう。そういう意味では、悩みもするしジョークもいう、という登場人物は、リアリティがあります。逆にこの作品の中に、寝ても覚めても事件のことしか考えていない登場人物がいたら、そっちの方が絵空事っぽく感じてしまうでしょう。
よくできた作品ではありますが、わたしとしてはなんだか物足りない。何が物足りないのかいろいろ考えてみたら、この作者の癖なのかもしれませんが、クライマックスが本当に作品の最後、ギリギリのところで出てくるんです。この作品に関していえば、六百二十ページほどの作品で、クライマックスと思われる盛り上がりに使っているのは、ラストの二十ページほど。なんだか、いきなりクライマックスが来て、ばしっと終わるような感じがします。過去の作品でも、比較的そういうパターンが多かったように記憶しています。それはそれで短い中にもちゃんとした盛り上がりはあるわけですし、事件が終わったあとまでずるずるとひきずるような終わらせ方ではないの、かまわないのですが、そこに至る盛り上がりというか、こちらの心構えというか、そういうものを用意する時間がないわけです。だから、唐突にクライマックスが来て、唐突に終わっているような印象があるんでしょうね。まあ、キングやクーンツの一部の作品のように、作品の最初からまるでクライマックスのような感じで展開されても、読んでる方は疲れちゃうんですけどね。
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