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小説「クロスファイア」
宮部みゆき著(カッパ・ノベルズ)
全国書店ネットワーク e-hon

1998.11.06

 かなり大雑把な分けかたになりますが、宮部みゆきの作品は、ふたつの時代とみっつのタイプに分類されます。  
 このふたつの時代とみっつのパターンを組み合わせると、宮部みゆきの作品の大半は分類できるはずです。もちろん、この分類には当てはまらないものもあります。あくまでも大雑把、大雑把。  
 まずふたつの時代というのは、いわずと知れた現代と江戸時代。「蒲生邸」はどっちだ、という突っ込みは入れないように。あくまでもテキトーな分類ですし、「蒲生邸事件」を読んでいない人には話しが通じません(笑)  
 で、みっつのタイプというのは、人情、社会派、超常現象、と。これもいいかげんな分類ですから、変な突っ込みはしないように。  
 人情ものは、江戸時代ものに多いようです。特にこれといってすごい事件が起こるわけでもなく、特にこれといってすごいオチがついているわけでもない。それでも、読んでいてもちろんおもしろい。  
 社会派は、「火車」や「理由」なんぞに代表される、社会問題を取り上げたシリアスなおはなし。で、この人のすごいところは、その社会問題が世の中で広く一般に社会問題化する前に取り上げることが多い、というところでしょうか? つまり、眼のつけどころが違う、ということでしょう。  
 最後の超常現象に関しては、超能力あり妖怪ありと、いろいろなパターンがありますが、要は人知を超えた力や現象というものを取り上げたパターンです。で、特に超能力を題材にした場合、決してその能力をただ単にすばらしいものとしては描いていません。  
 「鳩笛草」の著者のことばにも、そういった力も、ただ便利なものであるはずがない、といった意味のことが書いてあります。このあたり、日本で有名なのは、「サイボーグ009」あたりでしょうか。強い力、特殊な力持っているが故に苦悩する主人公というのは、実はおはなし界ではかなり人気のあるテーマのようです。まあ、主人公に苦悩させやすいっていえば、させやすいんでしょうが。  
 で、今回の「クロスファイア」は、時代は現代。パターンでいくと、社会派超常現象ということになりますか。  
 この作者、このパターンはかなりお気に入りのようで「龍は眠る」もそうですし、短編にもたびたび使っています。そもそも「クロスファイア」自体、短編(というか中編というか)の、「燔祭」という作品の続編ですから。  
 単純に言えば、火種なしにものを燃やす力を持った女性の物語。この種のおはなしとしては、スティーブン・キングの「ファイア・スターター」というのがあります。映画化もされていて、邦題がなんとも間抜けで「炎の少女チャーリー」主人公のチャーリーを、たしか「E・T」の末っ子をやっていたドリュー・バリモアが演じていたはずです。  
 それはそれとして、火種なしにものを燃やす能力というと、わたしなんぞは「ライターがいらなくていいなぁ」ぐらいにしか思いませんが(って、ホントはそんなことないけど)、この主人公はそんなことはありません。  
 全体の展開は、派手なアクションのないディーン・クーンツという感じです。ですが、クーンツと違うところは、なぜその力を持っているか、ということに変にもっともらしい理由をつけていないこと。どこかの組織が作り出したとか、親が変な薬を飲んでいたとか、そういった理由はついていません。単に「血筋」で済ませてます。このあたり、個人的な違いなんでしょうか。それとも国民性か。わたしには判断できません。  
 全体のトーンは少し暗めですが、「理由」ほどじゃぁありません。はなしの展開も、先が読めてしまう、というほど単純でもありませんが、何が起こるかわからない、というほどハラハラドキドキもしません。  
 そういう意味では、可もなし不可もなしといったところでしょうか。  


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