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1999.03.17
好きな作家の、好きな作品だからといって、その本を大切にしているとは限りません。好きな作品だからこそ、何度も読み返してぼろぼろになってしまったり、あちこち持ち歩いているうちに、どこかで紛失してしまったりすることが、わたしの場合よくあります。
そういうことがあるのは、わたしだけかもしれませんが、とにかくそういうことがよくあるのです。この「七十五羽の烏」も、そういう被害にあったかわいそうな本でした。
角川文庫版を買ったのが、いつのことだったか覚えていません。それが紛失してしまったのも、いつのことなのかわかりません。ただ、最後にその本を見たときには、古本屋の100円均一のかごに入っている方がよっぽどまし、という状態だったことだけは覚えています。
念のために書き添えておきますが、たしかにわたしは、どちらかといえばいい加減な性格ですから、本の扱いもあまり丁寧とはいえません。ただ、できればきれいな状態で保存したい、という気持ちぐらいはありますから、本がぼろぼろになる、ということは、それだけ何度も読み返した、ということになるわけです。
「七十五羽の烏」は、何度読み返したかわかりません。この本は、わたしにとっては教科書のようなものでした。文章そのものは当然として、全体の構成、キャラクターの設定など、この本から学んだことはたくさんあります。もちろん、学んだことが成果として現れているかどうかは、また別問題ですが(笑)
ということで、光文社文庫で再刊です。
一部の推理小説ファンの間では、古典的な名作のひとつと呼ばれています。
最初に発表されたのはたしか昭和四十七年ですから、すでに二十五年以上も前の作品になるわけですが、今読んでもほとんど古臭さを感じさせません。もちろん、まったく感じないわけではありませんが、それでも、新作だといわれても違和感を感じないだけの新しさがあります。
都筑道夫という人は、「常に早すぎる作家」という異名を持っています。時代を先取りしすぎるために、この人が興味を持ったジャンルがブームになるは、いつもそれから十年ぐらいたってから、ということなんです。作品のジャンルに限ったことだけではなく、中に出てくる品物や、扱っている題材も、世間で評判になるよりも先に取り上げることが多いようです。最近、新作があまり出ないのが、残念なんですが。
さて、この本の感想がまったくありませんが(笑)
この作品のすごいところのひとつに、推理小説によくある、「何でこの探偵は、最後の最後になるまで、事件の謎が解けないんだ? ホントは頭悪いんじゃないか?」という問題を、きれいに無理なく解決しているという点があります。どうやっているかというと、探偵にやる気がないんですね(笑)
やる気がないから、捜査もほとんどしない。たまに関係者から話しを聞いても、上の空だったり、居眠りしてたり。で、代りに助手が情報をかき集めて、自分で謎を解こうとするんですが、うまくいかない。
最後の最後で、やっと探偵が腰をあげて、助手がテープに録音しておいた関係者との会話を、一晩かけて聞きつづけて、謎を解明してしまう、と。つまり、ちゃんと話しを聞いていれば、もっと早くに解決できていた、ってことなんですが(笑)
すごいのは、それだけではありません。この本は、ぜひ二度以上読むことをお勧めします。すべての謎が解けたあとで、もう一度読み返すと、作者が用意したトリックの巧みさに、きっと驚くことでしょう。
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