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1999.04.25
全身が麻痺して、動くことも、しゃべることもできないけれど、ものも見えるし、声も聞こえる。頭もしっかりしていて、考えることもできる。そんな状態にいる老婦人が、ひょんなことから、殺人計画を知ってしまったらどうなるか。しかも、やがて犯人がその事を知り、狙う相手とともに、秘密を知っている老婦人をも殺そうと企む。
考えようによっては、このはなし、へたなホラーなんかよりも、ずっと恐いかもしれません。なにしろ、殺人計画を立てている犯人に、耳元で恐ろしい言葉をささやかれても、耳をふさぐこともできなければ、知ってしまった恐ろしい計画を、誰かに伝えることもできないわけですから。
この手のおはなしにあるパターン通り、主人公はまばたきの回数で、イエスとノーを伝えることは、できるようになります。ところが、まわりの人間が、頭が悪いというか、お人好しというか、主人公の気持ちをちゃんと汲み取ってはくれません。自分の考えで、 「あ、それはこういうことね」
と、勝手に決めつけて納得してしまったりして、そのあたりのもどかしさは、みごとなまでに不快です。もちろん、この不快感は、この作品には必要なものであって、作品そのものに対する不快感ではありません。
この主人公は、相手に意志を伝える手段がイエスとノーしかないわけですから、そのイライラはかなりなものです。
ただ、そのイライラが、読者にあまり伝わってこないような感じはあります。もっとイライラさせてくれてもいいのではないか、と思ってしまうのは、わたしが鈍感で、イライラを感じにくい体質だからでしょうか?
そのあたり、どなたか感想を聞かせてください。
それはそれとして、この本を読んでいる間わたしが考えていたのは、
「これは本当に殺人計画を立てているのだろうか?」
ということでした。
壁を伝わって聞こえてくる会話は、かなり明瞭なようで、そういった意味では、会話の内容が殺人計画に関するものだ、ということに疑う余地はありません。しかし、会話をかわしている人物たちが、何らかの理由で、主人公にそう信じ込ませようとしているのではないか、という可能性は残ります。残ります
が、残念ながら、どうやらそんなことはなく、犯人たちは実際に殺人計画を練っているらしい、ということは、少し読み進むうちに明らかになります。
残る興味は、犯人がいったいどうやって殺人を犯すつもりか、ということと、主人公がいかにしてそれを阻止するか、という点に絞られます。特に、阻止の方法には興味がひかれます。なんせ、動けない、しゃべれない主人公なわけですから。
犯行方法に関しては、単純といえば単純、妥当な線といえば妥当な線が用意されています。阻止の方法も、ちょっとつまらないような気はしますが、まあそんなもんだろう、という方法です。
すべてが終わったあとに、動くことも、しゃべることもできなかった主人公が、いったいどうなっているか。それは、読んでのお楽しみ、ということにしておきましょう。あっと驚くような結末は、待っていません。
もうひとつ、この作品を読んでいるあいだ中、頭の中にあったイメージは、映画「ダイヤルMを廻せ」や、「暗くなるまで待って」のような雰囲気でした。演劇でいえば、場面転換のない、一場ものというんですか。そんな感じの作品です。多少外には出るものの、ほとんどのシーンが、主人公の寝室で進みますから。いい脚本と監督、それに演技巧者がそろえば、ちょっとした映画にはなるかもしれません。
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