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1999.08.22
本格推理小説の楽しみ方には、大きくわけてふたつあります。
まず第一に、作者の用意した罠やひっかけをすべてクリアし、作中の探偵と一緒に、あるいはそれよりも早く謎を解き明かし、「俺ってやっぱりすごいんじゃん」と悦にひたるというもの。通常、本格推理小説を好んで読む人たちにとっては、これが正しい読み方という感じがします。願望も含めて。
次に、作者の用意した罠やひっかけにすべてきれいにひっかかり、最後のなぞ解きのシーンで、登場人物と一緒に、あっと驚くというもの。通常は、これがもっとも多い読み方という感じがします。というよりも、望んでいないのに、こうなってしまうことが多い、といった方がいいかもしれませんが。特にわたしの場合。もちろん、どんな推理小説を読んでも前者のパターンになる、というすごい方もいらっしゃるでしょうが、そういう人は、推理小説なんて読んでないで、推理作家か探偵になるべきでしょう(笑)
なにしろ、作者の用意した罠に完全にはまっているわけですから、作者が意図したとおりに「こいつが犯人に違いない」と思い込んでいるわけです。だからラストで探偵が「だから犯人はあなただ」といった瞬間に、「うっそぉぉぉ!」と叫んで、思わずページをめくって前に戻り、該当個所を読み直す。そこにはちゃんとそのとおりの記述があって、にもかかわらずそれにまったく気がつかなかった、という事実に愕然とするわけですが、これが意外に気持ちがいい。まるでマゾです。
ただ悲しいことに、そこまで気持ちよくしてくれる推理小説というのは、なかなかありません。特にトリック重視の作品の場合には、そういう衝撃に出会うことは少ないようですが、この作品は、かなり大きな衝撃を与えてくれた作品ではありました。
ただ、正確ないい方をすると、作中の謎が解けなかったために受けた衝撃、ということではありませんから、そういう意味では、少し違うかもしれません。とはいっても、作者の用意した罠にまんまとはまった自分に気づいたときには、一種の爽快感のようなものまで感じてしまったことは確かです。
この作品は都筑道夫の「七十五羽の烏」と林完次の「宙(ソラ)ノ名前」に触発されて書かれた作品だ、ということです。不勉強なわたしは「宙ノ名前」は読んでいませんが、「七十五羽の烏」は大好きで、何度読み返したかわかりません。で、この作品では、その「七十五羽の烏」と同じように、各章の冒頭に作者からの一言のようなものが挿入されています。そこでは(もちろん、基本的にはそこ以外でも、ですが)、作者はまったく嘘はついていません。嘘はついていませんが、当然罠はしかけてあります。その罠がうまい。
「七十五羽の烏」と本書のどちらがうまいか、と聞かれたら、わたしは本書の方に軍配を上げるでしょう。はっきりいって、作者が読者に対してしかけた罠は、ひとつしかありません。その、たったひとつの罠が、作品全体を支えているのです。これはもうみごと。
ただ、おそらくこの手は二度と使えないでしょう。過去に似たようなことをやっている作品はいくつかありますが、ここまで大胆にやっている作品を、わたしは知りません。そういう意味では、かなり衝撃を受けた作品です。
ですが、作品中に登場する謎の解明に関しては、実は若干の不満を感じています。特にミステリー・サークルの謎ときは、ちょっとなぁ、という感じをかなり強く受けました。
最後にもうひとつ。犯人を名指すシーンは、いっそのこと袋とじにしちゃった方がよかったんじゃないでしょうか。ついうっかりあのページを開いてしまったら、どう考えてもしっかり目に入っちゃいますから。
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