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小説「セーラ号の謎」
折原一著(角川文庫)
全国書店ネットワーク e-hon

1999.10.31

 これはひょっとすると、わたしだけのことかもしれませんが、おなじ作家の作品をたて続けに読んでしまうということは、よくあることです。ありません? ディーン・クーンツにはまったときもそうでしたし、岡嶋二人の作品は、ほとんど全部一気にまとめて読んだ記憶があります。そういうときに困るのが、あとから思い出したときに、各作品の区別がつかなくなってしまう、ということ。そういうことって、ありません?  
 このところ、この折原一の作品をたて続けに読んでいます。必ずしも新作ばかりではないので、読んだ作品をすべてここで紹介しているわけではありませんから、記録を見るかぎりでは、それほどではなさそうですが、そろそろやばくなってきました。作品が混ざりはじめてます(笑)  
 特に、折原一の場合、叙述ミステリーが多いので、作者は読者を欺こうと必死に書きますし、読者は作者に欺かれまいとして必死に読みます。で、読んでいくうちに、「これはひょっとして、こうなんじゃないか?」と思ったりするのですが、よくよく考えてみると、その「こうなんじゃないか」と思った内容が、直前に読んだ別の作品のトリックだったりして。もう、頭の中がグチャグチャ。どれがどの話やら(笑) 危険ですので、良い子は決して真似をしないでください(笑)  
 さて、まず例によって、ミスじゃないのか、と思う記述から。九十八ページの八行目。いきなりビールが出てきます。どこから出てきたんだ、このビールは。このビールの記述は、本筋とはまったく関係ありません。ありませんが、なんせこの作品は叙述ミステリーですから、どこに作者が埋め込んだトリックが隠されているかわかりません。読者は、一字一句に注意しながら読んでいくわけです。そうすると、こんなどうでもいいような部分まで、やけに怪しく感じてしまって。あとで、単なる間違いなんじゃないか、と気づいたときのショックは、かなり大きいものです。で、そのあとはもう、細かいところを気にすることなんかなくなっちゃって……  
 あ、もしかしたら、それが作者の手なのかも。  
 ただ、あきらかに変じゃないか、と思う部分が、後半に存在します。  
 三百六十三ページ目からしばらく、風間美智代という女性の一人称で話しが進みます。この女性、ヨットのことなんか何にも知らないはずなのに、専門用語がバシバシ出てきます。それはべつにかまわないのですが、ラストになって、別の部分に対して、それとは逆の指摘が大きな鍵になる発言があります。そうなってくると、風間美智代の一人称がどうもおかしい。何か裏があるんじゃないか、と思ってしまうのですが、何の裏もありません。  
 個人的な好みでいうと、この作品はあまり面白くありませんでした。なんでだろう、と色々考えてみたら、海の上で漂流しているシーンが多くて、退屈なんですね(笑) もちろんそれは、あくまでもわたしの好みから見た問題で、違う意見の方もいらっしゃるでしょうが。  
 そうそう。この作品のタイトルの由来については、解説にも書かれていますが、「シーラ号の謎」という映画から取っているようです。この「シーラ号の謎」という映画は、わたしにとっても思い出深い作品でして。  
 いや、内容はほとんど覚えてないんですけどね(笑) 冒頭で、主人公役のジェームズ・コバーンが、招待状をタイプライターでガーと打って、ふと手を休めてタバコをくわえる。吐き出した煙がでっかいわっかになるんですよ、これが。このジェームズ・コバーンという人は、これが特技のひとつのようで(笑) ときどきその妙技を見せてくれます。  
 この作品を見てから、わたしも練習しまして(笑) 今ではわたしも、特技のひとつとしてあげております。  


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