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小説「何ものも恐れるな」
ディーン・クーンツ著(アカデミー出版)
全国書店ネットワーク e-hon

1999.12.05

 ここではすでにおなじみの、ディーン・クーンツの新作です。しかも、噂の超訳で。とはいっても、以前にも書いたように、どこが違うのか、素人目にはよくわかりません。  
 ただ、これは超訳かどうかには関係ないと思うのですが、タイトルがどうも……  
 まあ、原題を見ても、間違っちゃいないんでしょうが、他につけようないかったのかなぁ、という気がしないでもありません。まあいいか。  
 読み始めて最初に気がついたことは、「あれ。一人称だ」ということでした。クーンツの作品を全部読んでいるわけではありませんし、読んだ作品も、すべてをきちんと覚えているわけではないので、はっきりしたことは言えないのですが、クーンツの作品で一人称って、珍しいんじゃありませんか?  
 で、主人公の一人称で進む物語ですから、他の登場人物の呼び方も、主人公が普段呼んでいる形になっているのだと思いますが、そこで謎がひとつ出てきます。父親のことは「おやじ」と呼んでいるのに、母親のことは「母さん」なわけです。このあたりは、なんでそうなるのか、というはっきりした説明はありません。心情的なものなのでしょうが、主人公の父親に対する気持ちと母親に対する気持ちの違いというのは、作品中ではっきりと表現されているシーンはないようです。基本的には、どちらに対しても分け隔てなく、という感じでしょうか。ラスト近くになって、母親の存在の重要性がわかりますが、それがわかる前から、主人公は「母さん」と呼んでいるわけです。そういう意味では、なぜ「おやじ」と呼ぶのに「おふくろ」と呼ばないのかが、ちょっと気になります。まあいいか。  
 描写の上で気になったことは、他にもありました。これはたぶん、作者のペンが滑ったのでしょうが、中巻の四十四ページに、「夜中に目を覚まし」という記述があるのですが、これは読んでいればわかるように、おかしな表現です。主人公が「夜中」に目を覚ますはずはないのですから。  
 あとはまあ、例によって例のごとくというか、いつものクーンツというか。次々とやってくるサスペンスといい、謎の出し方といい、その謎に対する答えを小出しにするやり方といい、「次はどうなるんだ?」「だから、早く答えを教えろよ」と思いたくなる進め方は、みごとなものです。  
 で、ここ最近のクーンツのパターンで、「最終的な敵との直接対決がない」というのがありますが、この作品も、読んでいるうちにその心配が出てきます。提示されている謎に対する答えがはっきりするのが、下巻もなかばをすぎてから、すでに終わりが近いあたりですから、それから敵陣に乗り込んで、というのでは、もう枚数が足りません(笑)  
 クライマックスでは、多少のアクションはあります。それも、一応取ってつけたようなものではなく、そこまでの展開からすれば妥当な立ち回りです。  
 ですが、物語の裏側がかなり大きく広がっているので、結局は謎を残したまま終わりを迎えてしまうのです。  
 と思って、後ろの方の広告を見ていたら、なんとすでに続編があって、続きがそのうち出るようです。その中で、ちゃんと全面対決してくれるんでしょうか? ちょっと期待してしまいましょう。  
 最後に、ちょっと気になったことを。  
 下巻の百十二ページ目に「フランシス・プロジェクト」がどうのこうの、という記述があります。「すげえ頭のいい犬が生まれたんだそうだ。ゴールデンレトリバーだった」というセリフもあります。これって、過去のクーンツのどれかの作品と絡んでいるんでしょうか? ちょっと調べてみたんですが、よくわかりませんでした。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。  


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